夢を見た。 いつか分からない、昔の話。 みんなが自分を見る。 嬉しくなってその視線を追うと、それは自分を見ているようで全く別のものを映していた。 自分もそれに混ざろうと、必死になってその視線の先にあるものを見続ける。 そうすればみんなと一緒にいられるのだと。自分も必要とされるだろうと。 しかし、自分が誰かの視線の先にいることはない。 そうしてみんな、自分からどんどん離れていく。 興味がないのだと。
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「…おい、シェイド?」 「ん…うん……」 「朝だ、起きているか?朝食ができた」
コンコン、とドアをノックされる音にシェイドの意識はゆっくりと覚醒する。開いた目に映る天井が見知らぬものであることに思考を巡らせ、その理由に思い至るころには眠気もすっかり覚めていた。
朝食。 言われてみれば、一昨日の夜から後何も口にした記憶がない。昨日の朝辺りからの記憶がそもそもなく、夜は自分の空腹なんて思い出せるほどの余裕もなかった。 だが、とシェイドは思う。 改めて考えるのもどうかと思うが、自分は果たしてこのままこの優しい同居人に甘えてしまっていいのだろうか。まるで当然のように告げられた朝食の存在に、逆に不安になってしまう。少なくとも、それが当然のことなんかではなく、遊星の好意の上で成り立っていることなのだと自分に言い聞かせていると、返事がないことを不審に思ったのかドアの外から遊星の困惑した声が響いてきた。
「シェイド?」 「あ…はい、ごめんなさい。すぐ降ります」
慌てて返事をし、簡単に身づくろいだけしてドアを開ける。律儀にも出てくるのをドアの外で待っていたのか、シェイドを見た遊星は相変わらずの無表情のままにおはようと朝の挨拶をシェイドにかける。
「あ、おはようございます」 「昨日は眠れたか?」 「あ…はい。大丈夫です」
どうということもない会話を交わしながら二人で階段を降りる。手当のおかげか、すっかり痛みの引いた足を動かしながら、やっぱりこの遊星という人物は底抜けに人がいいんだろうなあと何の気なしに思った。
「悪い、あまり料理は得意じゃないから簡単なものしか作れないが…」 「いや、その」
むしろ、自分の方が迷惑の掛け通しで謝りたいのだと。 本来なら自分がせめて用意すべきなものを、こうして並べてくれるだけで本当に大丈夫だと。 伝えようとした思いは言葉にならず、あまりに口下手すぎる自分に苛立ったシェイドはただ一言「すみません」と謝った。 本意が伝わったのか否か、遊星は薄く微笑むと、召し上がれと皿を勧めてくる。
「…いただきます」
自分の分であろう、小ぶりの皿に乗ったサンドイッチを頬張る。それは、格別なにか趣向を凝らされたものでもないのに、なぜか今まで食べたサンドイッチの中でも一番おいしく感じられた。ぽろり、思いが口をついたこぼれだす。
「…おいしい」 「そうか」
それはよかったといいながら遊星も自分のサンドイッチを口に運ぶ。無言のままに食べ進める彼を見ながら、シェイドはただそのおいしさを噛みしめていた。 昨日、あのまま死んでいてもおかしくなかった。いや、一昨日の火事で死んでいる可能性だってあったのだ。 それを何とか生き延び、そうして今度はこの目の前の男に救われた。 迷惑をいくらかけただろう、負担をどれだけかけただろう。 他人が苦手で、だからこそ他人に嫌われようとも気にしないでいようと思うシェイドが、遊星を見て。 あの無表情に優しさをにじませながら「気にするな」と話す顔が、自分に呆れ見限るようにしかめられる様を見たくないと。 ただ、それだけを願った。
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「ごちそうさまでした」 「おそまつさまでした」
言うなり、遊星が皿を片付け運ぼうとするものだから、さすがにそれはさせられないとシェイドが慌てて奪い取る。 行動の意味が分からないというように首をかしげる遊星に、皿洗いくらいはさせてほしいと頼み、ようやく合点がいったらしい彼はありがとうとその任をシェイドに任せた。カチャカチャと不安定に鳴る皿が自分の今の状況を表しているようで、何とも言えない気分になりながら台所に運ぶ。 季節は秋、残暑というにはいささか肌寒さを感じさせる気温だが日中はまだまだ暖かいようで、流れる水の冷たさが気もちいい。さっと泡を洗い落とすと、濡れた手をタオルで拭いてから遊星の待つリビングに戻った。
「助かった、ありがとう」 「いや…」
真摯な瞳を向けられて、どうにも返答が思い浮かばずに目を宙にさまよわせる。むしろ、これくらいの仕事なら喜んで引き受けるというのに。 ひんやりと冷えた手が行き場をなくし、ただシェイドの体の横で揺れている。 遊星は軽く微笑むと、少し出かけてくると腰を浮かせた。
「悪い、少しだけ用事があるから出てくる」 「あ…はい」 「この時間ではまだ服屋も開いていないし、お前の服探しはそのあとにしよう」
決定事項のように言われ、戸惑いながらもありがとうの言葉だけを口にすると、遊星は満足そうに頷き脱いでいたジャンパーを羽織る。 遊星が留守の間自分はどうしよう、外に出ていた方がいいだろうかというシェイドの逡巡を見抜いたのか、遊星は言葉を付け足した。
「俺がいない間は好きにしていてくれ。あまり娯楽もないから退屈かもしれないが」 「いえ、大丈夫です」
ありがとうと、ここに来てから一体何度言っただろう。 ごめんなさいもどもるのも、同じくらい言った気がする。 つまり自分はこの男に対して気を抜けずにいるのだろう。 信用するしないの話ではないが、そういう意味では全く自分はこの遊星という男を信じてはいないのかもしれなかった。 ――きっと、この人も自分からそのうち離れていく。 その思いがただの防衛本能なのだと気づきつつも、止めることはできなかった。
いってらっしゃいと見送れば、あとに残るのは静寂のみ。 Dホイールを駆る音も遠ざかり、本格的に一人なのだと理解した段階で、ようやく気が抜けたのかシェイドは近くにあったソファに倒れ込む。
「はあ…」
どうして自分は、こうも弱いのだろう。 自分一人でも生きていけると遊星の手を払いのけることも。 その優しさを甘受する自分を受け入れることも。 あのまっすぐな瞳のように、揺らがない自分を持つことすらできない。 女々しい――自分が女だということを差し置いて、シェイドはそう思った。
早々にここを離れるべきなんだろうか。 今なら、適当に書置きを残せば遊星にはさほど心配されずに出ていけるかもしれない。そうして生きていく方が、生活的にはしんどくても、他人に気を遣わずに生きていけることを考えればシェイドにはとても魅力的に思えた。
「……」
だが、それを実際に行動に移すことはない。 だから弱いのだ。 自分から行動を起こせない。 環境を乱すことが何より怖いのだ。 そうして自分の心の弱さを棚に上げ、他人にその理由を探す。 きっと遊星は優しいから、そうして出ていった自分を探すだろうと。 そんな迷惑はかけられない、だから出ていかないのだと。 出ていってしまった時、遊星が全くの興味を示さなかったらという仮定に身を震わせながら。
メンタルドレイン (じぶんは、よわい)
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