みじかいおはなし | ナノ
カラン、男の持つグラスに入った氷が音を立てた。男は何度かグラスの中に入ったウイスキーをうまく回して、一気に飲み干すと、グラスをテーブルに戻した。手持ち無沙汰となった右手が無意識にタバコの箱に触れる。男の目の前の灰皿はもうタバコの吸殻でいっぱいになっていた。
「もう入ってないわよ」
女が水色のカクテルの入ったグラスを傾けながらそう言った。すると男は小さく舌打ちをして、タバコの空箱をぐしゃりと潰した。
女はそんな男の様子をみて苦笑いをして、カウンター越しにグラスを磨いているバーテンダーに声をかける。「水をいただけるかしら」バーテンダーはにっこり笑って一つ頷くと、男の飲み干したグラスと水の入ったグラスを取り替えた。
「ほら、これ飲んで。そろそろ帰りましょう」
「俺はまだ飲んでく。帰りたいのならば、お前は帰ればいい」
男は水のグラスを避けて、飲み終わったグラスを洗っていたバーテンダーを呼びつけた。「ウイスキー、ロックで」男は注文し終わるか終わらないかのところで力なく頭を垂れた。
これ以上アルコールを摂取したら命に関わるかもわからない、そう判断した女はバーテンダーに先ほどの男の注文のキャンセルとお会計を要求した。男は今度は何も言わなかった。
「ありがとうございます。タクシーはいかがなされますか」
バーテンダーの問いに、女は「NO」と答えた。
バッグを肩にかけると、いつの間にか机に体を伏せてしまった男の腕を掴み肩にかける。どうやら歩いて連れて帰るようだ。
歩ける状態であれば歩いて帰るのも構わないが、どう見ても男は歩いて帰れる状態ではないし、そんな男をこんなか細い女が支えて帰るなど到底無理だ。
バーテンダーが心配そうに女の顔を覗き見る。そんなバーテンダーの心遣いに気づいた女はにこりと笑った。
「こんな人乗せるタクシーが可哀想だわ。少し夜風に当たらせて酔を覚まさせます」
女自身もある程度アルコールを摂取していることもあり、男の体重を支えながら歩くのは随分と大変そうでふらついていたが、しっかりと男の背中に手を回してゆっりとバーを後にした。
金曜の夜ということもあり、通りは賑わっていた。女はすれ違う人に気をかけながら男を連れて歩いた。男の息はとても荒く、酔いが回っているのが見て取れる。女自身も男を支えるためか無意識に全身に力が入り、バーを出た時よりもふらふらしているのが自分でもわかった。
少し休もう。そう決めた女は人通りの多い通りをどうにか抜けて、ひっそりとした公園へと入っていった。大きめのベンチを見つけ、そこへ男を下ろす。
ふう、と息をついた女もその隣に座った。空を見上げる。星はよく見えなかった。
「見えないわね、星」
男の体が傾いた。女の肩に男の頬が当たる。先程まで威張っていた様子が嘘のような寝顔だ。女はクスリと笑うと、男の体をそのまま自身の腿へと倒すように促した。されるがまま、男の体は素直に落ちていく。女の腿の上で背中を丸めて眠る姿はまるで泣きつかれた子どもが眠っているかのようだった。熱を持った指で男の髪をやさしくなでる。
「あなたはどんな夢を見て眠るの?」
女の問いに男が答えることはなかった。しばらくして、女は自嘲するように笑った。そこに自分の求める答えはないことを十分承知していたからである。
女の視界が曇る。見上げた先にあるのは暗闇だけだった。星の光だけでなく世界そのものが滲んで見えた。
「泣いているのか」
男の声が女の意識を引き戻した。視線を落とした瞬間、瞳からポツリとひとしずく涙がこぼれ落ちた。
「私は泣いてなんかいないわ」
「じゃあ今落ちてきたこれはなんだよ」
男が自分の頬を伝った跡をなぞる。それはまるでその男自身が泣いたかのように、綺麗な跡となっていた。
「泣いているのはあなたの方よ」女がそう言うと男は目を見開いた。
「俺は泣いてなんかいない」
「よく言うわ。あんなやけ酒しておいて」
「別に。潰れたくなる日くらいあるさ」
「そうね。去年の今日もそう言っていた気がするわ」
男の頬へ女が手を伸ばす。男が撫でた跡を同じように撫でて、男の手にそっと添えられた。薬指あるリングをなぞる。女と男の視線が交わった。静かな時がふたりの間を流れていく。
「俺はあいつ以外愛さない」
「知ってるわ。もう何度繰り返してきたと思っているの?」
「お前はそれでも俺が愛しいのか」
「愚問ね」
女はフッと笑って男の冷めた唇に自身のそれをそっと寄せた。男は抵抗もせずにただそれを受け入れた。唇が離れる。再びふたりの視線が交わった。
「あの人を忘れてなんて言わない」
だから悪い夢が終わるまで私と一緒に眠りましょう

女は目を覚ました。カーテンの隙間から覗く光を反射する真っ白なシーツに目がくらむ。
夢の中で夢を見ていた、そんなような感覚が彼女を襲っていた。愛しい人と、それが例え偽りの愛であろうとも、一晩中愛を語り合う、そんな夢。
抜け殻のベッドに確かに残された温度だけが彼女の途絶えてしまいそうな意識をつないでいた。
女はそこに希望をみたのか。これが女の描いた夢の先なのか。それは彼女にしかわかりえない。ただ、女は、笑みを浮かべて言う。
「私はあなたを愛しているの」
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亡くなった妻を愛し続ける男とそんな男を愛し続ける女のおはなし
白昼夢を抱いて眠れ/企画「糸色」様提出