運命の人 | ナノ


無力な自分



『はっ…はぁ!』


自分が出せる最高速で足を動かす。
走っている所為で心臓が痛いのか、これから私がやろうとしていることに対して恐怖と不安を感じているのか…多分、どちらもだと思うけど。


「なにぃ!?」

『!?』


今のっ……ウォッカの声!
聞こえた方へ逸る気持ちを抑えながら今度は靴音を立てずに、気配を殺しながら近付く。


「そいつはできねー相談だ…奴は組織の中でも有数の頭脳だからな」

「な!?」


耳に入って来る会話は明美さんとジン達のもの。
……いつ、出て行く…一歩間違えば確実に私は死ぬ。
護身術をかじったり、テコンドーはしたことがあるけど…実践で、しかも拳銃を持ってる相手に挑んだことは無い。
どうしよう…どうしたらっ。


「最後のチャンスだ。金の在り処を言え」

「甘いわね。私を殺せば永遠に分からなくなるわよ」


私が動かない間にも会話は進んでいく。
行かなきゃ……動け…私の足…動いて!



「!?」

「えっ…」



ジンの持っていた拳銃が私の蹴りで弾き飛ばされて遠くへ転がって行く。
……あれを映画みたいに上手くキャッチしてジン達に向けられたら格好良かったんだけど、そんな芸当は出来なかった。


「貴方……」

『……』

「お前は……」



ジンからの突き刺す様な視線から目を離さずに明美さんの前に立って壁になる。
背中を冷や汗が伝った。
……怖い、ジンの目はそれだけで私を殺せてしまいそう。



『……明美さん、逃げて下さい』

「え…どうして…」

『説明してる暇は無いです…ただ、自分が生きることだけを考えて下さい』



向こうは男二人、しかも暗殺のプロ。
私みたいな小娘一人殺すのなんて訳無いと思う。
逃げ、きれるだろうか……。


「まさか……生きていたとはな」

『……え』

「リリィ」



ドクン、と心臓を鷲掴みにされた感覚。
聞いたことの無い単語の筈なのに……どうして何処か、懐かしい様な…そんな感覚になるんだろう。
動こうとしない明美さんの手を引いて逃げるつもりだったのに、足に力が入らない…地面から離れない。
それはジンから向けられた銃を見ても逃げることが出来なかった。

嘘、もう一丁持ってた!?
だ、めだ……殺される…!



「名前ちゃん!」


ボーッと蒸気船の大きな音が銃声の音を掻き消す。
息が、出来ない。
どうして…何で……じわりと私の服に滲んで来るのは私の血液じゃない、…明美さん、の血。



「リリィ…お前は、俺達から逃れられない運命なんだよ」

『何言って……待って!』

「……ぐ、ぅ」


足に力が入らないのか明美さんが私に体重を預けたまま膝を折る。
ジン達が離れて行くのを睨むしか出来ないのが悔しい。
負担をかけない様にゆっくりと明美さんを横に寝かした。



「……ねぇ…どう、して…私の名前を…?」

『…私、トリップして来たんです。元の世界では貴方達が登場して来るマンガがあった。だから、貴方が宮野明美って名前で黒ずくめの組織の命令で10億円強奪事件を起こしたことも…全部知ってました。……貴方の妹さんの、志保さんのことも』

「………」

『私の家族は…この世界では亡くなってます。両親も…妹も。志保さんに…私と同じ様な思いをして欲しくなかった。……だから、運命を変えてでも明美さんを助けたかった………なのに、っ!』



泣いたって何かが変わる訳じゃない、でも溢れて来る涙を止めることは出来なくて。
明美さんのお腹から真っ赤な血が溢れて来るのを自分が着ていた上着で止めることに必死だった。

応急処置の知識も余り無い私は気休め程度の止血しか出来ない。
焦りばかりが押し寄せてくる私の目に走って来るコナン君と蘭が映る。



『コナン君…蘭…!』

「ま、雅美さん!?」

「どうしたの、しっかりして!!」

「蘭姉ちゃん、早く救急車を!それに、おじさん達にも!!」

「う、うん分かった」



蘭が走って行ってコナン君も明美さんを支える。
ハァハァと荒い息を繰り返している明美さんを見ていると私も苦しくなって来た。
…どうして、こうなったんだろう。
そう、か……私、変えることが出来なかったんだ。
この世界に来て初めて身近に感じた誰かの、死。
哀ちゃんの悲しい表情が頭の中に現れて…手の平に爪が食い込むほど強く握り締めた。



「江戸川…いや……工藤新一、探偵さ」


……コナン君が自分の正体を明かしたことに悲しくなってしまう。
セリフの一つ一つは変わっている。
私のことを知っている様子だったジンとの会話も、明美さんとの会話も漫画の中では無かった。
けれど……大筋の流れは変わることなく、物語通りに進んでいる。
私がいても、いなくても……変わらない。



「そ、そしてこの私も組織の手にかかって…」

「組織…?」

「謎に包まれた大きな組織よ…ま、末端の私に分かっているのは、組織のカラーがブラックってことだけ…」

「ブラック!?」

「そ、そうよ…組織の奴らが好んで着るのよ…カ、カラスの様な黒い服をね…」

「(ま、まさか!!黒ずくめの男!?)」


明美さんが言っている組織のことが分かったのかコナン君が驚愕の表情を浮かべる。
驚いているコナン君の手を血に濡れた手で明美さんが掴む。



「さ、最後に私の言うこと…聞いてくれる?10億の入ったスーツケースは…ホテルのフロントに預けてあるわ……そ、それを…奴らより先に取り戻して欲しいの…もう、奴らに利用されるのは…ご、ごめんだから…」


…そして、泣き続ける私を見て明美さんは綺麗な笑顔で微笑んだ。
ごぷりと吐いた血が喉を伝っている。


「……名前ちゃん…あり、がと…」

『え…』

「頼んだわよ……小さな…探偵、さ…」



パタ、と明美さんの手が地面に落ちる。
声をあげて泣いてしまいたい…そうしたら、少しはこの傷が抉られていくことは無くなるかな。

視界の端に映った蘭達に声をあげることを止めた。
蘭に、心配かけたくないから。



『くどうくん…』

「……っ」



ごめんね……ごめん。
小さな体を抱き締めて…その首元に顔を埋める。



『………ごめん、なさい…』



守れなかった明美さんにも、悲しませてしまう哀ちゃんにも…謝ったって、起きたことを変えられはしない。
静かに泣いている私の涙が工藤君の服を濡らすだけだった。

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