現状は最悪だった。何故なら校庭だけでなく校内の至る所に“あの文字”によって色んな言葉が書かれているからだ。過去の記憶を思い出すきっかけとして、その条件に魔法や文字を目撃することが前提となるならこの状況は非常にまずい。記憶の保持者は4組だけで既に10人。もし百花が言っていたように学校全体がそうだったら?

人数が多ければ多いほど、厄介事だって増えるに違いない。それはつまり、カラオケの時のようなゴタゴタが何時何処で起こるやもしれないという事。昨日の少人数ですらああなったのだ、数が増えるならより激しいものに進化するに違いない。



「クラスマッチの開会式は8時45分からだ。各自、着替えて第一体育館に移動する事!」



各自が自分の席に座って担任の話に耳を傾けていた。誰もが学校内に不穏な空気を感じ取っているからなのか、教室内に会話はなかった。そんな状況の中で、まだ続く担任の話を聞きながら私はゴソゴソと鞄の中をあさっていた。クラスマッチを行うにあたって、制服から体操着に着替えなくちゃいけない。だけど探していた体操着は、鞄の中には見当たらなかった。

まさか忘れてたなんて、と場違いな事を考えながら一人落ち込む。そこで翔がロッカーに一着置いているのを思い出して、HRが終わったら真っ先に声を掛けようと決めた。だけど、HRが終わった後の教室に翔の姿は見つからない。



「ねぇ、手嶋野。翔が何処に行ったか知ってる?」

「…目黒?いや、知らねぇ」

「そっか。てか大丈夫?体調悪いなら保健室に行きなよ。無理しないでさ」

「んあ…」



飴でも食べる?なんて言いながら少し会話を続ける。何も言わないで教室を出て行くって事は、直ぐ戻ってくる事を表してるのかもしれない。教室を出たのもトイレとか呼び出しとか、そんなのでと思う。再び戻って来ると信じて、私は教室で待つことにした。

高校に入ってからも何度か忘れ物をしては、翔に借りていた。幼馴染という事もあって借り易いし、気兼ねなく話せるから。自分の記憶だけを思い返して、平凡な日常ばかりだった事に気付く。このまま何も起こらなければ、平凡な日常に戻れる気がした。だけど、そんな小さな願いさえ、神様は叶えてくれなかった。



「――モースヴィーグの奴等、許さん!出て来いッ!今度こそ正々堂々と戦え…!」

「この声、」



突然、校内に響く放送。何も知らない生徒からしてみれば判らない言葉だろうけど、それは一般人ならの話。朝、思い出すきっかけの話しをしたばかりだ。もし、校庭や学校中に書かれた文字を見て思い出してる人が居たら…。

これは更に混乱を呼ぶに違いない。そして、さっきの放送の声は翔の声に似てる。似てるってもんじゃない、そのものだ。微妙に声質や抑揚が変わってるけど、長年聞き続けた声を、私が聞き間違う筈が無い。




「っあ、おいっ!田端…!」

「ごめん、七浦!」



こんな状況じゃなかったら、きっと只の聞き間違いで済んだと思う。だけど、状況が状況だ。勢いよく教室を飛び出したのはいいが、ドア付近で七浦にぶつかったり翔の行方が判らなかったりで散々。御陰で無駄に疲れる。最初は後ろから私を追うように走ってきた手嶋野と仁科が、今では私の横を走って翔の行方を捜してる。

探してると言っても、放送の声が翔だという事には気付いてないみたいで、少し安心した。多分、手嶋野と仁科はモースヴィーグの人間だろう。



「ねぇ、待って…!手嶋野、仁科!!」

「うお、いきなり服掴むなって!ビックリするじゃんか!」

「流石に、体力持たないっ」

「…闇雲に探しても確かに意味はないな」



どうにか二人に追いついて、会話を成した。そして入った部屋はちょうど開いていた美術室。深呼吸を何度か繰り返して、呼吸を整える。久し振りに全速力で走ったせいで、身体に掛かる負担は大きかった。足はガクガクするし、喉の奥がヒリヒリと痛む。自分が思っていたよりも身体はスムーズに動かない。

喋れる余裕ができてきて、最初に問いかけの言葉を口にしようとした。けど、呼吸は元通りになっても喉の負担までは薄れてなかったらしい。声が掠れて、ちゃんとした言葉を成していなかった。



「御前、大丈夫か?」

「どうにか。で、手嶋野と仁科もモースヴィーグの人間だって思っていい?」

「ああ。手嶋野は?」

「俺も」

「…やっぱそうなんだ」



これで判ったのは、私の知るところで過去の記憶を持っている人間は13人居ると言う事。あと思っていた通り、現状が芳しくない。二人に質問をぶつけてみたところ、自分の変化に気付いたのは学校に来てからとの事だった。

今の私にはヒースだった時のような腕力は無い。出来ればリーチの長く相手と間合いが取れる物が良いんだけど、美術室という事もあってそんな都合の良いものは置いて無かった。デザインカッターや彫刻刀等は生徒が簡単に使えないよう、鍵が付く部屋に厳重に管理されているだけ有難いと思う。



「御前達、モースヴィーグの人間か…!」

「!」



ドアに背を向けていたから顔が見えなかったけど、この声を私は知っていた。ドアに目を向けると、そこには制服姿のまま長箒を持った翔の姿がある。物凄い剣幕のままで、ずっとこちらを見つめてる。

体勢を立て直して、身体ごとドアに向けたら制服のスカートがふわりと揺れた。モースヴィーグかと剣幕で問われているって事は、翔はゼレストリアの人間なんだろう。さっきまでは、翔の投げ掛けに仁科が答えていたのだが、何時の間にかその受け答えは怒鳴り合いと化していた。



「命乞いのつもりか!安い嘘をッ…!!」

「仁科危ない!!」



翔が持っていた長箒が、私の前に立っていた仁科に向かって振り翳された。其れを見て、咄嗟に身体が動く。でも、そこで後悔した。長箒が振り下ろされるスピードはとても早いし、今の自分は手持ち無沙汰だ。殴られる!と恐怖を感じてギュッと目を瞑り、頭を護るように手を前に回して、待ちたくない瞬間を待った。

そしてどさっ、と物凄い大きな音がして、私の身体は重力に従ってそのまま教室の床に倒れた。長箒は直接私の身体に当たることなく、棚に激突したお陰で被害はゼロ…と言いたい所だが、避けようとして派手に転倒したため状況は最悪だ。受身が取れないまま地面に倒れたせいで、身体の節々が痛む。ちくしょー翔のくせに、なんて考えられる余裕があるだけまだ増しだ。



「田端…!!」

「ゼレストリアの無念、痛みを持って思い知れ!!」

「おい、目黒やめろッ!!」



翔、と名前を呼ぼうとして口を動かしても言葉にならない。パクパクと空気を吐き出すだけで虚しさだけが募っていた。翔は冷静さを失っている。そして私のお腹の上に馬乗りになりながら、油絵で使うペインティングナイフを片手に持っていた。

そのペインティングナイフは私の顔の真上に固定されてる。ペインティングナイフ自体はそれほど危険なものじゃないけれど、それは本来の使い方をしていればの話。強く握りながら素早く振り翳されればそれなりに怪我をする。



「…翔…っ、落ち着いて!」

「やめろっ!私はゼレストリアの王女、ベロニカだ!」



辛うじて出た言葉は悠に登場と、その声に遮られ、誰の耳にも届く事はなかった。頑張って出した声が遮られてしまった事に少し不満を抱いたが、悠がベロニカを名乗り現れた事によって、翔の注意が「目の前に居るモースヴィーグ人」から「王女ベロニカ」に移ったのは良かった。

非力なくせに厄介事に自分から首を突っ込んで、足手まといになってるのは判ってる。判ってた筈なのに、無意識にいけるんじゃないか、って思った。それが、とてつもなく悔しい。



(20110406)


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