深淵にて温もりを手放す




一度堰を切ってしまえば、ぼろぼろと。口汚い言葉が、俺の口から零れ落ちていった。

言ってしまえば、俺は月島の冷たさに甘えているのだ。俺がどんな良いことを言っても、悪いことを言っても、褒め言葉を伝えても、罵って貶しても、すべて冷めた目線を投げかけて、二言会話をしたらはいおしまい。俺がどんな言葉をかけたところで、コイツにとってはすべてに等しい存在と化するのだ。これがいい事なのか、はたまた酷い事なのか。俺にはてんでわからないが、とにかく、今の俺にとっては最低なことに好都合なのだった。月島の耳にかけられたヘッドフォンは俺の言葉を遮断しているようで、それだけが唯一の救いだ。何も隔てられていない口汚い言葉が直に触れるだなんて考えたら、ぞわりと背筋に寒いものが走った。


「ねえ、そろそろ飽きたんだけど。終わった?」


っていうかさ、なんでそもそも僕が君なんかのために待っててあげなきゃいけないの。ホント、意味わかんないよね。月島は呆れたような表情を浮かべて、はあっと深いため息をついた。ゆるやかに外されたヘッドフォンから、かすかに音楽が漏れている。あ、これ、この間オリコン入りしたロックバンドのやつだ。たしか、俺には君しかいらない、とか、お前を一生愛することを誓う、なんて小っ恥ずかしくて甘ったるい歌詞の応酬の、まるで口から砂糖を吐き出させようと言わんばかりの恋愛ソング。店先で聞いたときに、あまりの甘ったるさに思わずロックバンドということを忘れ、胸やけしそうになったことを思い出した。コイツもこんなの聴くんだな、なんて思考を走らせながら、頷いてさっきの言葉に肯定の意を示す。月島は冷めた目で俺を一瞥すると、自分の荷物を片付け始めた。


「月島、悪かった」

「ふうん、そんな薄っぺらい脳みそでも一応自覚はあるんだ」

「あったりめーだよ」

「まあ、王様がそれで満足するんだったら、別に付き合ってあげてもいいけど」


その場からぴくりとも動かない俺を、月島は訝しげな顔で見下ろしていた。俺自身も地面に縫い付けられたかのように足がひどく重く、まるで鉛のように動こうとしないので、さっさと諦めてただじっとその場へ立っていた。

たまに頭の中がぐっちゃぐちゃにこんがらがって、訳もなく胃がむかむかとして、頭痛や吐き気を訴えて、どうしようもできなくて、誰かに助けてもらいたくて、誰にも頼りなくて、捌け口に選んだのが月島だった。好きという感情も、嫌いという感情も持ってない、ただ俺に無関心な奴。そうして今まで月島の無関心に甘受して、どうにもできない捌け口を見つけ出していたのだ。
淡々としたいつもどおりの月島の態度は、罪悪感がズキズキとひしめく頭の中で少しだけ痛みが和らぐ材料となる。冷めた瞳も、いつもどおりの柔い光で瞬いていた。このいつもどおりが、どうしようもない安心でくるまれたような錯覚を覚える。月島の冷たさにかこつけて、自分が悪人であることの事実を和らげようとしているのだ。ズキズキと痛みを訴える胸を抑えていると、月島はすたすたとこっちに歩いてくる。帰る用意が終わったから、さっさと帰る。合理的な月島のいつもどおりに、やはり安心して、やはり胸の痛みは収まらなかった。


「いつまでもそんなことしてて、本当に楽しい?」

「いいよ、王様の言葉ぐらいいくらでも聞いてあげるからさ」

「早く、もっと辛くなって苦しめばいいのにね」


どくんどくん、と大きく動く心臓の音が聞きたくなくて、両耳をぎゅっと手のひらで抑えた。体中に痛みがひしめき合って、押し潰されてしまいそうだった。



∴深淵にて温もりを手放す


title:icy

―――
真のゲス




<<




- ナノ -