心臓がふたつあればいいのに




森山さんとのキスは、非常に時間が短い。理由は至って簡単。俺が、息をすることをやめてしまうからだ。

まず、人間には呼吸という行動は必要不可欠だ。酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出して、また酸素を体に取り込んで。生理現象とも言えるこの行動は人間のみならず、犬や猫などの動物、更には地に根を這わせる植物までもが行わなくてはならないことだ。
だって、呼吸が止まれば、いずれは死んでしまうだろう?生きているからこそ。生きたいと願うからこそ、生き物は皆呼吸を繰り返して、辺りを漂う酸素を貪る。だから、俺の息をやめるという動作は、この自然界の理から大きく逸れてしまうことになる。森山さんは、そんな俺の軌道を修正してくれているのだ。

また今日も、軽く音を立てたキスをひとつ落とすと、森山さんの唇は俺からすぐに離れてしまった。


「ホント、伊月くんはキスが下手だね」


短時間だけやめた呼吸をすぐさま繰り返す俺を見ては、森山さんは苦笑いを浮かべながら言葉を呼吸のように繰り返す。森山さんの部屋で何度も吐かれた言葉はたくさん重なって、今も押しつぶされそうなほどにさらに上へと重なった。
やや下がった整った眉尻と、俺を安心させるように細められた瞳孔を見ていると、なんだか無性に惨めな思いになるのだ。こうしてキスを繰り返していくたびに、ゲンメツしてるのかな、とか、本当は女の子とキスしたいよなあ、とか、普段は露にも思わないような汚い感情がぐるぐると渦巻いて、ざあざあ降りの雨のようなじめじめとした自己嫌悪に陥る。ああ、嫌だな。俺のこと、嫌わないでいてくれるのかな。森山さんはそんな俺の胸の内を知ってか知らないでか、大概決まって俺の目線までしゃがみこんで、目を合わせてにっこりと笑うのだ。


「森山さん、ごめんなさい、」

「なんで謝ってんだよ。伊月くんの可愛い顔が見えるなら、それで十分」


森山さんは立ち上がりざまに俺の額にもう一度キスを落として、飲み物をとってくる、と言って部屋から出て行ってしまった。額なら、息を止める必要なんてないのに。規則正しく繰り返される呼吸を感じながら、森山さんの部屋の天井を見上げていた。実のところ、息をやめる、ということに、抵抗などほとんどない。森山さんがいないところで呼吸が止まるくらいなら、いっそのこと今ここで息なんてやめてしまえばいい。わりかし本気でそう思っているのだが、森山さんにそれを告げた時、森山さんは酷く悲しそうな顔で笑っていたので、二度とその言葉を言葉として存在させることはできない。遠くから響く森山さんの足音をどこか遠くで聞きながら、ゆっくりと壁に凭れかかった。
ああ、心臓がふたつあればいいのに。そうすれば、俺が息をやめたって、もうひとつはどくんどくん、と動いてるのだから。額に触れた熱が体中に回って、ふわふわとした心地だった。


∴心臓がふたつあればいいのに


title:休憩




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