刻々進退世界




はあはあはあ、荒い呼吸を吐き出して、森山は地面へとしゃがみこんだ。頭がクラクラとする。すべてに酸素が回っていないくせに体中が少ない酸素を貪ろうとして、貪欲なまでの縋り付くような呼吸ばかりを繰り返した。遂にはしゃがみこむのさえ辛くなり、人の目なんて気にせず、その場へ倒れこむように寝転ぶ。胸がズキズキと痛み、視界がぼやける。
いったい、どのくらいの距離を走っていたのだろうか。酷く心を空っぽにしたくて、ただ何も考えずに無心で走っていた。途中で小堀や黄瀬とも会った。呼び止める声を振り切って、こんなところまで走ってきてしまった。今日は確か、練習は休みだっけ。ああ、でも、みんな自主練してるんだろうなあ。笠松に見つかったら、すげー怒鳴られるかも。ようやく酸素が回り、ぼんやりと動き始めた思考回路が考えることは、やはりチームメイト達ばかりだった。そう言えば、早川と一緒にシュート練するなんて約束してたっけ。やっぱ怒ってるよなあ。許せ早川。心優しき先輩が、後で昼飯を奢ってやろう。心の中で早川に謝罪を述べ、寝そべっていた体をゆっくりとあげた。まだ呼吸は整っていないが、どうしようもなく動けない、という状況は回避できたらしい。
起き上がろうとしたら頭がぐわんぐわんと揺れ動いたので、立つのは諦めてその場へ座り込んだ。気持ち悪い。吐き気がする。胃の中のものすべてを吐き出してしまいたい衝動に駆られたが、必死に自分を押さえつけて無理やり吐き気を収めさせる。頑張れ由孝、ここで己の欲望に忠実になってしまったら、お前の未来はないと思え。自分でもよくわからない自己暗示が効いたのだろうか。しばらくうずくまっていると吐き気も自然と治まり、苛立つような不快感だけが体中でぐるぐるとひしめいていた。


「なにやってんだか……」


ここまでくれば、残るものは自分の行動の浅はかさと馬鹿馬鹿しさを嗤うのみだ。何も持たず着の身着のままでこんな高校からずっと遠いところまで走ってきた自分に、思わず大馬鹿だ、と賞賛の意を込めて盛大な拍手を贈りたくなった。

こんな時部活動に青春を捧げる悩める学生なら、真っ先に青い海の見える砂浜へと向かい、裸足で砂浜へ立ち、沈む夕日に向かって大声を上げるのだろう。その方が何一つ体力を使う必要もないし、疲れる思いなんてせずとも開放感に満ち溢れてすっきりとした気持ちで夕日を眺めることができる。もしかしたら苦悩を共にした仲間が隣にいてくれて、その肩を抱き寄せて友情の素晴らしさというものを再確認するのかもしれない。
だが俺は、吐き気が沸き起こる程無心になって走り続け、疲れて頭がぐちゃぐちゃになって、苛立ちしか起こらなく、勿論こんなカッコ悪い自分の隣には素晴らしき仲間はいない。その素晴らしき仲間の制止を振り切ってまで、こんな馬鹿馬鹿しいことをやってのけているのだ。本当、なにやってんだか、だ。
ここで大声でも上げさえすれば、苦悩なんてものは吹き飛ぶのだろうか。だがしかし、ここは神奈川の住宅地。こんなところで大声を上げるなんて行為をしてみせたら、真っ先に小言のうるさいおばちゃんがすっ飛んで来るだろう。それ以前に、こんな住宅地に全速力で男子高校生が駆けてきて、いきなり崩れ落ちているのだ。さっきからジロジロと遠慮のない視線を背中に受けていることは、薄々と感づいていた。なんだかどうすることもできなくて、何もする気になれなくて、またごろん、と地面に倒れ込んだ。体がどうしようもなく疲労感を訴えていて、ここから動くことさえ億劫に感じた。
これ、どうやって帰ろう。そんなことを考えながら、冷たいアスファルトに転がる小石を何をするわけでもなくただ眺めていた。こんな石ころでさえ、地面に転がる、という役割を果たしているのだ。少なくとも、自分の役割はこの地面に転がっていることではないのだろう。ゆるやかなため息をひとつついて、でもやっぱり起き上がる気にはなれなくて、瞼をやんわりと下ろした。このまま、ずっとこうしていられればいいのに。心配そうに話しかけてくる通りすがりの人たちの声を聞いていたら、もう何を考えていたかなんて思い出せなくなってしまった。



「笠松、森山が保健室に連行されていったぞ」

「はあ!!?あの馬鹿、何しでかした!!?」

「なんか、すっげー遠くのところでぶっ倒れてたのを発見されたらしいッス」

「も(り)やま先輩のまわ(り)、人だか(り)すごかったみたいっす!!」

「あいつ、ホント何やってんだよ……ちょっと保健室行ってくる」

「あ、ちなみに今は目も覚めて至って元気らしい」

「やっぱあの馬鹿シバいてくる」

「い、一応病人ッスから、お手やわらかにお願いするッス……」


∴刻々進退世界


title:SAKUSAKU




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