あまいあまいあまい




宮地さんの部屋からは、あまいあまい香りがした。


「散らかっててわりぃけど、どっか適当なとこ座ってて」

「あ、はい。ありがとうございます」


宮地さんは床に2、3冊散らばっていた雑誌(多分表紙から察するに、アイドル関連の)を部屋の端のほうに寄せると、飲み物を持ってくる、と言って俺を部屋に一人置いてキッチンへと行ってしまった。パタパタとスリッパの鳴る音が途絶え、宮地さんの姿が見えないことを確認すると、大人しく座っていたところからゆっくりと腰を上げる。
なんてったって、初めて宮地さんの家に来たのだ。ずっと行きたい、と懇願して、ダメだ、と苦い顔で断られ続け、一生のお願い、と両手を合わせて頼み込んで、渋々承諾を得られた宮地さんちへのお宅訪問。正直、いつになく心臓がどっくんどっくんと楽しげに動いて仕方がなかった。なにも着飾ることのない、普段通りの宮地さんが見れるかもしれないのだ。そう思うと、年甲斐もなくわくわくしてしょうがない。


(しっかし、綺麗な部屋だなあ)


散らかっている、と宮地さんは言ったが、宮地さんの部屋はきちんと整理整頓されていて、実に綺麗なものだった。使い慣れた中にも生活感は滲み出ていて、なんだか宮地さんの人柄を連想させるあたたかな雰囲気に包まれている。本人もなんだかんだ言って几帳面だし、掃除も実は喜んでやっているというのを知っている。50音順に並べられた本棚の本だとか、背表紙の大きさごとに分けられた雑誌だとか、そんなものを見ていると、心の内側がほわっとあったかくなる。壁に貼られたアイドルのポスターと、端の方に積まれたグッズや雑誌が明らかなる異彩を放っていたが、宮地さんらしい、と思うと、どうにもくすぐったくてしょうがない。何かもっと、宮地さんを知れるものはないだろうか。アイドル関連の一角からは目を離して、少しだけきょろきょろと周りを見回す。俺の願いを最も叶えてくれそうなものは、宮地さんの机の上にすぐ見つけることができた。


「あ…宮地さん発見」


ちょっとだけ後ろめたい気持ちが生じるも、やはり気になる気持ちの方が勝り、そろそろと慎重に机の前へと移動する。目線の先には、それぞれ色鮮やかな写真が飾られている写真立てがふたつ置いてあった。

右側の写真立てには、修学旅行で撮ったと思われるクラスの集合写真。宮地さんの姿は、意外と早く見つけることができた。いつもよりふてくされたような、むすりとした表情。まるでカメラを睨みつけているようで、思わず笑みがこぼれた。となりの写真立てには、バスケ部全員が写っている。こっちの方がみんな自然体で、笑顔でカメラにピースサインをしている宮地さんがいた。たくさんの部員が写っていて全員はわからないが、少しだけ顔に見覚えのある奴もいる。宮地さんの吸い込まれそうな笑顔が、やけに鮮明に映った。


「宮地さんのとなりが秀徳のキャプテンで、その後ろの坊主頭が木村ってひとかな。あ、こっちが高尾で、引っ張られてるのが緑間で……」

「で、緑間の後ろで座ってピースしてるのがうちの監督な」


あ、とドアの方を振り返ると、湯気のたったマグカップをふたつ持った宮地さんがちょうどドアを開けた瞬間だったようだ。写真立てを覗き込んでいる俺の姿を確認すると顔をしかめて、居心地が悪そうにふい、と目を逸らす。


「勝手に人の写真見てんなよ轢くぞ。あ、伊月ミルクティー飲めるよな。飲めないとか言ったら焼く」

「すみません、大丈夫です飲めます。あとそんなお粗末な理由で焼かれたくないです」

「じゃあ轢く。拒否権はなしに今すぐ轢く」

「すみません、轢かれたくもないです」


くそ、だから部屋に連れてくんのはやだったんだよ。あーこのやろ、隠しておけばよかった。宮地さんは俺の体を無理やりミルクティーの前に座らせると、写真立てを机の引き出しの中へとしまってしまった。残念、もう少し、じっくりと見たかった。不満が顔にも表れてたのだろうか。んな顔されたって、ぜってー見せねえ。大きな瞳を少しだけ細めると、自身もミルクティーの前へと座り込み、マグカップの中身を啜った。心なしか、宮地さんの耳が赤いのがわかる。照れてるんだなあ、と微笑ましい思いで遠慮なくミルクティーに口をつけると、宮地さんの口からはまた物騒な言葉の数々が並べ上げられた。


「宮地さん。また次も、連れてきてくれますか」

「やだ。ぜってーやだ。もう二度と家の敷居は踏まさせねえ」

「それ、どこの姑ですか」

「だから、今のうちに見とけって言ってんの。今日で、最初で最後だかんな」


そう言った宮地さんの耳はまだほんのりと朱に染まっていて、思わず笑ってしまうと、遠慮のない拳が俺の頭をぽかりと叩いた。脳天に走る痛みに悶えていると、べ、と舌を出され、宮地さんはまた眉間に皺を寄せて、ずず、とミルクティーを一口啜る。
自分の知らない宮地さんなど、まだゆっくりと知っていけばいいのだ。俺にはまだまだそれを成し遂げられる時間がたっぷりとあるし、なにより、俺だけが知っている宮地さんがいてくれればそれでいい。宮地さんの部屋には、いつの間にか優しいミルクティーの香りで溢れかえっていた。


∴あまいあまいあまい


title:家出






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