そうして君は白へと還る




かがんだキスが、憧れだったのだ。

自分よりも背の小さな、愛らしく愛おしい子。その子の目線までゆっくりとかがんで、ぱちりと優しい視線をぶつけあってから、幸せを謳うようにキスをする。そんなキスに、憧れていた。
性欲とは無縁の男、と揶揄される伊月だが、れっきとした男子高校生たるもの、キスのひとつやふたつ憧れるものだ。嬉しそうにはにかみながら彼女のことを語る土田や、その他街中に溢れる幸せそうな男女たちを見ていると、伊月だって少し羨ましいと思う時がある。ああ、自分もいつか、あんな風にとなりを歩く女の子の手を取り、微笑みながらあの道を歩くのだろうか。それが近い将来か遠い未来なのかはわからないが、ちょっとだけ、そんなことを思い描いたりもする。自分に好意を持っている子からの誘いは断るというのに、随分と現金なことだ。ひとり苦笑いを浮かべるが、どうも釈然としない。自分に好意を寄せてくれている子達がとなりにいるということが、まるで想像がつかないのだ。
彼女、というからには、自分か相手かが告白をして、見事に思いが伝わって、晴れて付き合うということになり、ようやく彼女と呼べる日がくるのを待たねばならない。だが、果たしてあの子たちが自分の彼女にはなるのだろうか。んん、と首をかしげても、やはりあまり納得は出来ない。あの子達の手を取って、ともに微笑み合うという行為は、自分にはふさわしくないのではないだろうか。俺よりも小さな背で、か細く愛らしい声で俺の名を呼び、カーディガンに隠した白い指で俺のジャージをぎゅっと握る。頬をうっすらと赤く染め、伏し目がちな黒目を長い睫毛で隠し、ふるえる唇で俺に好きだと告げる女の子。確かに、可愛いなあという感情は持つことができるが、恋愛感情か否かを問われたら、やはりそれは否と答えるのだろう。自分には感情が欠落しているのではないか、と思えるほど、まるで恋愛感情が持てないのだ。手を繋ぎたくても、手をつなごうと思える人がいない。キスはしたくても、キスをしたいと思える相手がいない。

かがんだキスなんて、所詮はキャンパスに思い描く夢物語でしかないのだ。愛おしいと思える相手だって、恋愛感情を持てる相手だって、きっと自分には見つからない。だって、見つける気がないのだ。同じ似たような背格好で、似たようなメイクで、似たような仕草をする女の子ばかりからなんて、見つけようともさえ思えない。俺って、やっぱり変なんですかねえ。


「じゃあ、俺とキスしてみればいいんじゃねい?」

「あの、話聞いてました?」

「聞いてた聞いてた〜伊月がかがんでキスしたきゃ、俺座ってたげるよ」


春日さんはいかにも聞いてませんでしたと言わんばかりの笑みでにっこりと笑うと、そのまま地べたへゆっくりと座り込んだ。ジッと上目遣いに俺の顔を見上げ、ふわふわと楽しそうに肩を揺らしている。勿論、俺の思考回路が繋がるはずがない。この人、本当にキスをするつもりなのか。どうすることもできず、しばしの間固まっていると、春日さんはとんとん、と俺の背中を押す。


「別にさ、彼女が欲しい訳じゃないんでしょ?伊月は、キスがしてみたいだけなんだよ」

「はあ……そうなんですかね」

「うんうん。ただ、知らないことを知りたがってるだけ。ちっちゃい子どもと変わらないの」


知らないことは、みんな俺が教えてあげるよ。全部全部、伊月は知っちゃえばいいんだ。春日さんはそう言うと、俺の腕を不意に引っ張った。思わずバランスを失い、そのまま春日さんの体へと前のめりになって倒れる。初めてだったら、ごめんね。そんな優しい声をどこか遠くへと聞きながら、なにか深い底にゆっくりと陥る心地を感じていた。柔らかく、どこか優しい熱が、体全体に染み込んでいくような。頭が白くクラクラとして、まるでふわふわと宙ぶらりんになっているような錯覚を覚える。そうだよ。これでも一応、ファーストキスって奴ですよ。一番近い距離で見た春日さんは、伏し目がちな黒目を、縁どられた長い睫毛でしとしとと隠していて、近距離で見る整った顔なんて、心臓に悪いことこの上ない。この人、絶対に性格が悪い、と確信する程の繊細さを纏って、ゆったりと笑っていた。
キスなんて、もう絶対に懲り懲りだ。体中の熱が唇に触れて、春日さんを殺してしまうんじゃないかな、なんて思った。


白に戻ってご覧よ


title:たとえば僕が






<<




- ナノ -