一途な黒を溶かしてみせて




森山さんは、よく笑う人だ。

もっとも、大声をあげて笑ったり、口を大きく開いたようなそんなおおらかな笑い方じゃない。もっと上品で、艶やかで、玲瓏たる、淡い笑み。花が綻んだような、なんて陳腐な表現がぴったりと当てはまってしまう程の柔らかな微笑みは、笑うというよりは優雅に佇む夜の月のように優しく見守っている、と言ったほうが正しいのかもしれない。森山さんの笑みは、見た者の心臓にひどく悪いのだ。

まず、この笑みを一番最初に見た人は、老若男女関係なくほうっとため息をついて、女は熱のこもった目でうっとりと見上げ、男は神の創世の残酷さにひっそりと枕を濡らす。口を開くことさえしなければ、彼はきっとあの黄瀬にもタメを張る程なのではないのかとこっそり感じさえする程だ。そう、森山さんは口さえ開かなければいいのだ。そうすれば、(いささか不服だが)甘い甘い蜜に群がる蟻のように女は彼の元へと寄っていき、彼自身が自ら好みの女の子を探すという行為をせずともあっさりと彼女なんてものがゲット出来てしまうかもしれない。

だが、しばらく共にいて分かったことがある。この人は非常に残念なことに、まるで口から生まれたかのようなお喋りなのだ。



「ねえ、伊月くん聞いてる?俺さ、この間の練習のとき可愛い女の子見つけたって言ってただろ?そうそう、この間の合同練習。いやあ、あれしんどかったよね。帰ったらもう爆睡だったよ。でね、俺さ、その後休憩中に話しかけられた訳なんだよ。そのかわい子ちゃんに!これはまたとないチャンスだと思わないかい?お疲れ様です、って言ってきてさあ、ああマジ可愛かった女の子万歳。とりあえずありとあらゆる作戦を駆使して
、どうにかメアドをゲットするまでには持ち込んだね。うん、あのさ、メアドはゲットしたんだよ。そのあとちゃんとメールも送って返事も返ってきたし、これ絶対行けんじゃね?さよなら独り身!なんて思ったんだよ。返信も結構好感触だったしさ、絶対行ける!って思った訳だ!だがしかし、運命と言うものは非常に残酷だった。俺はさっき見てしまったのだ……そう、あの彼女が彼氏と思しき男と手を繋いで歩いているところを……!!」

「あーはいはい残念でしたね早く次の新しい好みの女の子が見つかるといいですねー」

「伊月くん酷い!!!俺結構真面目に傷ついてんのに!!!!」


俺に言葉のマシンガンを余すことなく全てぶつけてきた森山さんは、涙ぐんで俺にがばりと抱きついた。さっきまで熱く語っていたせいか頬はうっすらと上気し、肌に触れる部分が心なしか熱を帯びている。これでもう、今月に入って3人目。森山さんの好みの似たような女の子達が、脳裏に思い浮かぶ。毎度毎度懲りないこの女好きな先輩に、はぁ、とため息を漏らした。


「森山さんいい加減学習したらどうなんですか?高校生活に彼女なんかいなくたって、別にいいじゃないですか」

「やだやだやだやだ。高校生活の醍醐味って言ったら、可愛い彼女がいるスクールライフに決まってるだろ!!ノー彼女ノーライフ!!!」


今回は絶対行けると思ったんだよぉ。だってあの子、清楚で大人しい感じだったし。笑顔で男二股かけるような子に見えなかったんだよぉ。俺の胸でうだうだうだうだ。女に振られた直後に他校の男の後輩に抱きついているというのは、本当にこの人は大丈夫なのだろうか。主に思考回路と周囲の目とこの人の世間体は。現に今も、通りかかる人全てが何事かと振り返る。当の本人はそんなことなどお構いなしで、ひたすら俺の胸に額を押し付けてぐだぐだと今回の女の子について語り始めていた。


「あの子、黒髪がすごく似合う子だった。俺としてはボブとかショートの方が好きなんだけどさらさらのロングヘアも似合ってたし、清楚で大人っぽかったんだけど目もちょっとツリ目がちなんだよ。数学が得意でみんなが寒いって言うようなお笑いが好きで、あと視力が良かったんだよなあ」


振られてしまった女の子のことを話す森山さんは、まるで意識がここにないような、ふわふわと宙に浮いている綿菓子のような雲を連想させる。そこまで女の子に溺れて、彼は何がしたいんだ。森山さんが少しだけ顔を上げると、ぱちり、と視線がぶつかった。


「伊月くん、俺、振られた」


ゆっくりと、自分自身で言葉を噛み締めるように。森山さんは俺にやんわりと笑いかけた。細められた瞳に、どくん、と自分の何かが音をたてる。彼の笑みは、まるで麻薬だ。蜂蜜を溶かしたかのような甘ったるい目線が、酷く俺を落ち着かせなくなる。森山さんはそんな俺を知ってか知らないでか、再び俺の胸に額を押し付けた。


「あーあ、早く付き合いたいなあ。さらさらな黒髪で、清楚で大人びててツリ目がちで、数学が得意でちょっと笑いの感覚がずれてるような視力のいい子、また探さないとなあ」


ぐりぐりと額を押し付ける森山さんはいつもよりも子供っぽくて、動くたびに揺れるさらさらの黒髪が妙な違和感を放っていた。
どうせ明日も、彼の目線は女の子へと向くのだ。さらさらな黒髪で、清楚で大人びててツリ目がちで、数学が得意でちょっと笑いの感覚がずれてるような視力のいい子を探すために。そしていつかは、その子にあの玲瓏たる微笑みを惜しみなく浮かべるのだろう。特別に甘く、淡く。


「早く、見つかるといいですね」


いつになれば、この人は俺の胸で微笑まないでくれるのだろうか



知らないふり×知らないふり


∴一途な黒を溶かしてみせて

title:たとえば僕が






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