何かが焼ける甘い香り。
二口コンロの前には大きな人影。

この家のキッチンに自分以外の誰かが立ったところなんて見たことない。
いや・・・私もほとんど立たないんだけど。



「ほら、いい加減起きろ!いつまで寝てんだ。」



「何でよりよってコレしかねぇんだよ・・・」人ん家の小さなキッチンで何故か悪態を付く低い声。いつもはこのまどろみタイムをたっぷり楽しむ私だって、流石に飛び起きた。




いるっ!




しつこいけど目を覚ます度目を離す度にこの反応は繰り返されると思うよ、琥一くん。


「オマエなぁ・・・普段何食って生きてんだ。しかも服のまんま寝たらシワになんだろっ、」


流石、GS界きっての主夫王子。乱れていた髪を慌てて手櫛で整えてたら、「よっ」と小さな掛け声でひっくり返されたふんわり厚いパンケーキ。私が作るよりうまい。

ちなみに冷蔵庫が空っぽだろうと、これだけは常備。GS好きなら当然でしょ?


霞んだ目を擦ってベッドサイドの目覚まし時計を眺めればお昼過ぎ。寝起き一発目だけど、昨夜からツマミ程度しか胃に入れてないからお腹はぺったんこ。
甘い匂いに喉がこくりと鳴った。


「ほら、」


出されたお皿には正しくプレーンのホットケーキ。


何にもかかってない・・・


いや、何もかけるものが無いってのが本当のところだけど。

目の前では食べ飽きてるだろうその物に、一瞬躊躇した琥一くんがかなり微妙な顔をしながらパンケーキを口に運ぶ。私もその様子を眺めつつ、もそもそと口に欠片を含む。


「ンだよ。」


「いや、別に。」


自然に合ってしまった視線をお皿に移す。・・・これじゃまるでバンビって言うより琉夏くんみたいよね?私。


「ねぇ、琥一くん?」


「あ?」


「琉夏くんもどっかにいたりするの?」


「知るか、多分家にいんだろ?」


「心配しない?」


「するかよ気持ち悪ぃ。
・・・そう思うなら早く答えだしてさっさと帰らせろっ、」


向かいのパンケーキはあっという間に無くなってお皿だけを持った琥一君が立ち上がった。

やっぱり夢であって欲しかった選択肢も現実だったらしい。パンケーキの最後の一欠片を口に入れて、ようやくこの状況ごと飲み込む事にした。


「行ってもいいかなぁ、って思うよ。」


実際琥一くんはタイプだ。顔も身体も性格も。たった1人のキング王冠保持者。

でも全部捨てなきゃあっちには行けない。自棄になったまま勢いで行ければ良かったのに、今はびっくりするくらい頭が冷静で困る。


「でもさ、急じゃん。」


ガチャガチャと洗い物までさっさと片付けていた手が止まった。


「ちょっとだけ、考えさせてよ?」


全部を捨てるなんて、いまいちピンとこない。今一番怖いのは全てを捨てて目の前の突然現れた王子様を信じる事。第一、私は琥一くんが好きなバンビちゃんとは性格がかけ離れてる。
計算高いし、ずる賢い。恋愛を自分の利益に利用する人間だ。



しばらく何やら俯いて考えていた琥一くんが、はぁ、と大きなため息を吐いた。







「1週間、」





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