「オイ、そこの女。」
『?』
「これを、落としたぞ。」


街を歩いていた時だった。目の前の女が、はらりと何かを落とした。なんだと拾うと、それはとても綺麗なハンカチだった。品の良い服装と、日傘を差すその姿。そんな装いの人はいくらでもいるはずなのだが、目の前の女はどこか周りのやつとは違った雰囲気を持っているように感じた。


『あ、っ……』


振り返ったその女に、思わず息を呑んだ。


『どうも、わざわざありがとうございます。』


ふわり、柔らかく微笑む彼女のその笑顔を、俺は前にも見たような気がした。そしていつかどこかでこんな会話を交わしたような気もする。上手くは言えねぇが、どこか懐かしく感じたことは事実だった。



「あ、オイ……お前、」
『はい?』
「……いや、なんでもねぇ。気を付けろよ。」
『はい、本当にありがとうございました!』


その長い髪を靡かせながら、小走りにこちらへ向かってくる。そっとハンカチを受け取る。にこりと微笑んで、俺に背を向け歩き出す。何故か遠ざかるその小さな背中に手を伸ばしかけた俺の左手に、シルバーの指輪が光ったのだった。



ー…



「いらっしゃいませー!」


何だかわからないこの胸のもやを振り払うように、俺は行きつけのカフェへ入った。


『ご注文は……っ、あ……』
「?あ……お前、」


その店員は、先程の女だった。
数回目を瞬かせてから、ふんわりと微笑む。


『いつも来て下さっている方ですよね?あちらの席に座ってらっしゃる…。…先程は、ありがとうございました!』
「いや、気にするな…」
『ふふ、ご注文はいかがなさいますか?』
「ああ…じゃあ、コーヒーをブラックで。」
『アイスとホットがございますが、どちらにいたしますか?』
「ホット。」
『かしこまりました、そちらで少々お待ちくださいませ。』


金を出して、釣りを受けとる。彼女の姿を見ながら、俺は一人思考を巡らす。さっき感じたのは、これか?言われてみればそれとなく話し掛けてくれる店員が居た気がする。…でも…なんだ?何か違う気がするし、何か大切なことを忘れている気もする。もっと、遠い遠い記憶のような──…

思い出そうとしても、激しい頭痛に襲われるばかりで思い出せない。

胸がもやもやして、とても気分が悪い。



『お待たせいたしたました、ブラックコーヒー、ホットでございます。』


カップの方が熱くなっておりますのでお気をつけください、と微笑む彼女にわかったと頷くと、彼女はまた柔らかく笑った。

特に気に止めることもなく、
俺はいつもの席へと足を運んだ。




それが、俺たちの二度目の出逢いだとは知らずに。




ー…



『いらっしゃいませ!』


あの日から、俺はそこへいつものように何度も足を運んだ。今まではなんとなく落ち着くから、それだけだった。でも、今はきっとそれとは違う。


『今日もありがとうございます。』


目の前に居るこいつに会いたくて、用もないのにわざわざ来て、コーヒーを頼んで長居する。……意外と迷惑な客だな俺。


「いつもの。」
『はい、ブラックコーヒーのホットですね。』
「あとそれと、レモンタルト……ひとつ。」
『あら、珍しいですね?』
「まあ、たまにはいいだろう…」
『ふふ…ええ。お釣り520円とレシートになります。お確かめください。』


自分できっちり確認したあと、それらを受けとっていつもの席へ座る。柔らかい日差しが心地よい、暖かい日だった。


「……」


レモンタルトを口に入れる。爽やかな甘みが口に広がって、なかなか美味い。一口、また一口と食べる俺の横顔に、なにか視線を感じた。


「……?」


ちら、と見ると、彼女が嬉しそうに微笑んでこちらを見つめていた。……なんだか食いづらいんだが、仕方ねぇか。
そう思いながらタルトを食べ終え、コーヒーを口に含む。甘いもののあとだからか、少しだけいつもより苦く感じた。

上司に頼まれていた書類に目を通していると、暖かい日差しに包まれるような感覚になり、つい瞼が重くなる。



ああ、いけねぇな……こんな日は、

こんなとこで寝ちゃ迷惑なのに、
あいつを困らせたくねぇのに、


身体が言うことを聞いてくれねぇ……。



頬杖をついたまま意識を手放す。


俺は、夢を見た。






ー…










『ふふ、リヴァイさん!早く早く!』
「分かったから、そう急かすな。」
『だって、一度こうしてお昼寝してみたかったんですもの。』



俺の隣で笑う娘。
とても高価そうで上品なその服装と、綺麗な容姿。どこかで聞いた声。顔は、口元が見えるだけで他はいまいちよく見えない。


「……暖けぇな、」



草花が生える野原に寝転がって、そう言って彼女に優しく笑いかける。俺の隣に彼女も寝転がって笑った。


『ねぇリヴァイさん、生まれ変わりや転生って、聞いたことありますか?』
「まあ、ないことはねぇな…」
『…貴方は、それを信じますか?』
「……生まれ変わり、か…」


ぼんやりと空を見上げる。
青々とした空に真っ白い雲が流れる、穏やかな景色だった。


「俺は、いまいち実感が湧かねぇからなんとも言えんが、あったらいいとは思っている。」
『そう、ですか……』
「お前はどうだ、──なまえ。」


俺がそう言うと、なまえと呼ばれた娘はふんわりと微笑む。


『…もし死んだとしても…この世で知り合った方や親交の深い方と、生まれ変わったその世界でまた出会えるんですって。』
「?そう、なのか…」
『ええ。家族や恋人、親友などになった方とは、生まれ変わった世界でもそういった親しい関係になると、何かの書物に書いてありました。』
「……」
『だからもし生まれ変われるのなら、巨人なんか居ない、壁もない、たくさんの人が幸せだと言って笑えるような……そんな世界で、


──私はまた、貴方と出会いたいです。』



そう言って笑い、俺の左手に自らの手をそっと重ねた娘の顔が、一瞬だけ見えた。




綺麗な顔立ち、優しげで大きな瞳、色白な肌に柔らかそうな髪。



俺は思わず目を見開いた。



何故なら、娘のその顔は──…







──────
────
──





「、ん……」


目を覚ますと、そこはあの店だった。
時計をハッとして見ると、僅か5分くらいしか経っていなかったようで、まだコーヒーからも僅かに湯気が立ち上っている。


「、夢…か……」


ふう、と溜め息をつく。

だが、とても夢にしてはリアルだった。



顔に受けた柔らかな日差しの暖かさ、

草木の香り、

風が頬を撫でる感覚、


彼女の温かい手が優しく触れた、俺の左手。



何もかもが鮮明で、
夢とは思えない感覚だった。



「……なんだってんだ、」


はっきりとしない記憶や視界、そしてこの感覚を振り払うように前髪を掻き上げてコーヒーを飲み干す。

そのまま立ち上がり、店を出ようとしたが立ち止まる。彼女のその、


『っあ、ありがとうございました!』
「──、お前…」



慌てたように目を擦ったあと、ふんわりと微笑んだ彼女の顔は、



「──なまえ…?」



先程の娘の顔、そのものだった。
いつの間にか俺の頬を、温かい何かが伝う。



『何故私の名前を──、』


半端な時間帯であまり人の居ない静かな店内。その中で、俺は彼女にそっと近づいた。


「お前が、なまえなのか…?」
『はい、私はなまえです…。貴方は──…』


言いかけた彼女の瞳が見開かれる。
水分と光をより多く含む彼女の大きな瞳が、不安げに揺れた。そして、近づいた俺の左手をそっと両手で握って、彼女は確かにこう言った。



『──やっとまた逢えた、リヴァイさん……』


その笑った瞳から、涙が零れた。



話によると、彼女は前世の記憶とやらを断片的に受け継いでいたようだった。だから今日の俺のように、夢みたいな感覚でその記憶を継承していたという。

彼女も俺同様に、相手の顔はよく見えなかったらしい。だが、俺と同刻に彼女も夢を見ていたそうだ。俺と同じ夢を、彼女の視点で。その時に、今まで見えなかった相手の顔が一瞬だがはっきりと見えたという。


それは、俺の顔だったそうだ。




店を出て、その空を見上げる。

それはあの夢と同じ、穏やかな景色の空だった。




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