『っ……、』
「、なまえ!」


咳き込む彼女が、手で口元を押さえる。
だが、そんな彼女の指の隙間からは、赤い血液が滴っていた。


「なまえ、大丈夫か…しっかりしろ!!」
『ごほ、ごほ…ッ…!!だ、じょ…ぶ、です……』


白いガーゼが、じわじわと赤く染まってゆく。口元を拭った彼女が、力無く笑った。


『大丈夫、です……いつものことですから…。せっかく来ていただいたのに申し訳ないのですが、きっとまたすぐに眠ってしまいます……』
「構わない。お前の、側に居たい。」
『すい、ません……』


そう言って、目を閉じる。

あれから10日ほど経った。仕事の合間に訪れる度に、彼女の容態は悪くなっていくようにしか見えなかった。だんだんと話せる時間も短くなっていて、彼女の寝顔を見ると、このままなまえが起きないんじゃないかと考えることも多くなっていた。


「なんで、お前なんだ……」


眠る彼女の髪を撫でながら、悔しさのあまり唇を噛みしめ、拳を握る。


「なんでお前と俺が、こんな病のために別れなきゃいけねぇんだ…!」


辛そうに、それでも笑うこいつを、俺は見ていられなかった。医者の話によれば、なまえの余命もあと、持って2週間。このままいけば数日だそうだ。


「なあ、なまえ。……お前は、幸せだったか?」


浅い呼吸をしながら眠る彼女に、一人問いかける。数日なんて、きっとあっという間もなく過ぎていくんだろう。お前と俺との日々に幕が降りるその日まで、俺はお前を心から愛すると心に誓おう。




「リヴァイ君……だったかね?」
「、はい。」


コツンと足音を鳴らして、彼女の父親が部屋に入った。


「少し話がしたいんだ。……別の部屋へ来てくれるかい?」
「分かりました…」


窓の外の空は晴れ晴れとしていた。



ー……


「……なまえは、いつも君の話をしていた。楽しそうに、嬉しそうに。……君も、こうして何度も来てくれるということは、なまえのことを大切に思ってくれているんだろう?」
「はい。」

「あの子は身体が弱いこともあって、昔からあまり外へ出てはいけないと言われていた。

……だからなんだろう、君にたくさんの質問をして、少しでも外のことを知ろうとする。

あんなに好奇心が強い子なのに、
外へ出られないなんてひどい話だ…。」

「……。」


「だから君が来たあの日、私はなまえの無断外出を知っていながら何も言わなかったんだ。
余命が僅か数ヶ月と医師に教えられていたから、
彼女が外に憧れていることも知っていたから、

少しでも笑って過ごしてほしくて、
私はわざと見て見ぬふりをした。」


そっと目を伏せて、困ったように笑う。
その仕草は、彼女がするものと似ていた。


「……リヴァイ君には、あの子を幸せにしてほしいと思っている。でも、出来ないんだ。君たち二人を応援することも、君がなまえを幸せにすることも…。」
「何故、ですか。」
「私たちが貴族なんかではなく、あの子も健康だったら喜んで交際を応援していた。……でも、駄目なんだ。……貴族は貴族と、結婚することが掟だ。

……いくら君が彼女を愛し、彼女が君を愛したとしても、


君たちは、結ばれてはいけない二人なんだ…」


許してくれ、彼はそう涙を流しながら言った。


「……」







* * *









ー…



『……リヴァイ、さん…私、』
「喋らなくていい、もう…何も……」


数日後、なまえの容態が急変した。
駆けつけた医者の判断は、残念だが手の施しようがないとのことだった。


『あの…ね、リヴァイさん……、こんな身体だったから…外を、見ることは叶わなかったけれど、──貴方が、居てくれて…今日まで、本当に楽し…かった、』

「やめろ、そんな話すんじゃねぇ…お前は、まだ……ッ、」

『いいえ、もう…私は少ししたら、ここから旅立ちます…。そしたら、お空を飛び回って、外を旅するの…。きっと、いい気分だわ……』


ふふ、と笑うなまえの意識は朦朧としているようで、呼吸も浅い。


「、なまえ…」
『ねぇ、リヴァイさん……そんな悲しい顔をしないで。私、貴方と出会えて、たくさんのものを見ることができて、すごく幸せだった…』
「嫌だ、まだ俺は…お前にもっとたくさんのものを見せてやりたい…もっと、幸せにしてやりたい…!」
『いい、え……もう、十分すぎるくらいに見せて貰ったし、幸せにもして貰ったわ。』


弱々しく笑うなまえの身体を、そっと抱き寄せた。


『リヴァイさん、』
「なんだ…」
『愛してるって、言って……』
「っ、愛している…なまえ……、お前のことを、誰よりも何よりも……」


とくんと脈打つ鼓動、彼女の体温。
優しい声や、美しいその瞳。


何もかもが、今失われようとしている。


『リ、ヴァイ……さん、』
「なんだ、なまえ…」

『もし生まれ変わっても、

私はまた貴方の隣で…こうして…笑っていたい。いつかまた、貴方と出会いたい…』

「ああ…ッ…ああ、俺もだ…!!」


その手は俺の頬へ伸ばされた。そっと撫でるそのしなやかな指を、手を、離すまいと握った。



『リヴァイさん……、

貴方のことを…
…愛して、います…──』



そっと、静かに閉ざされた瞳。

彼女は何も話さなくなった。



「なまえ…?」



返事は、ない。



「残念ですが…。」



まだ少し温かいその手を、自らの頬に添える。


目を閉じた時瞼の裏に浮かぶのは、
二人で想い描いた未来。



いろんなとこへ行って遊ぶことも、

肌を重ねて体温を確かめ合うことも、

契りを交わして家庭を築くことも、


みんなみんな、

叶わなかった、これからも叶うことはない夢。




彼女の温もりがそこにあったことを、
ほんの少し前まで生きていたことを、

名残惜しげに確かめるように、力の入っていないその手を握る。



俺はその日、

誰にも見せなかった涙を一粒、そっと溢すのだった。






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