「オイ、そこの女。」
『?』
「これを、落としたぞ。」
市街地を歩いていた時だった。前を歩く女が、はらりと何かを落とした。なんだと拾うと、それはとても綺麗なリボンだった。高価そうなそれと、目の前の女の姿を交互に見つめる。服装からするに、きっと金持ちなんだろう。……こんなご時世だってのに、贅沢ばっかりしてんだろうな。
『あ、っ……』
振り返った女に、思わず息を呑んだ。
『どうも、わざわざありがとうございます。』
ふわり、柔らかく笑う彼女の表情が、
俺の心に焼き付いた。
その長い髪を靡かせながら、小走りにこちらへ向かってくる。やたらふわふわとしている、リボンやらレースやらがあしらわれた服。とても上品で、彼女によく似合っていた。
『私、なまえ・みょうじと申します。これはとても大切な品でして、是非お礼をさせて頂きたいのですが…』
「……みょうじ…?」
どっかで見たような、聞いたような名前だな…。
『調査兵の方ですか?』
「ああ。」
『では、長い間お時間を取っていただくわけにもいきませんね…。それでしたら…家がすぐそこですので、よければ寄っていただけませんか?なにかお礼をさせてください。』
彼女が指差したのは、とても大きな家。
……思い出した、みょうじと言えば有名な貴族家だ。自分は構わないが目上の人への口の利き方には気を付けろとエルヴィンに言われていたな、と思いつつ、その家を見上げる。普通の家三軒分くらいはある。別にいい、と言おうと思ったが、彼女のきらきらとした瞳に、わかったと頷くしかなかった。隣を歩く彼女が、俺を見上げる。
『敬語とか、使われないんですね。私、その方が親しい感じがして好きなんです。もし嫌でなければ、私にはそのままで接していただけないでしょうか?』
「……別に構わない。」
『ふふ、ありがとうございます。』
隣で柔らかく笑む彼女を見ながら思う。
……貴族ってのは皆、自己中でツンケンしてて愛想も悪いもんだと思ってた。
だが、
意外とこういうやつも居るんだと、
少し貴族に対する印象が変わった。
ー…
『ただいまー…。』
なぜか小声でドアをそっと開け、中の様子を伺っている。
「……オイ、」
『しーッ…!!』
声をかけると、慌てた様子で口元に人差し指を立てた。本当にどうしたんだろうか。
「あ、なまえお嬢様!!今までどちらへ!?」
『うっ…ご、ごめんなさい…』
「無断外出なんて、旦那様が心配してらっしゃいましたよ。…そちらのお客様は?」
『私の、このリボンを拾って下さった方なの。何かお礼がしたくて…』
「そうでしたか…。でしたら、旦那様にご相談してみては如何でしょう?」
『…そうね、お父様に相談してみるわ。ありがとう。』
「どうぞごゆっくり。」
彼女にこちらですと案内され、ある部屋へ向かう。するとそこには、彼女の父親と思われる人がいた。彼女が訳を話すと、にこりと人のよさそうな笑みを浮かべた。
「……このリボンは妻の形見でね。なまえがとても大切にしているものなんだ。本当にありがとう。」
「礼を言われるようなことは何も…。」
「そうだ、我が家の財宝を僅かだが君にあげよう。どれでも好きなものを持っていくといい!」
その親子共通の断るに断りづらい笑顔に流されるままに、俺はある部屋へ向かっていた。
ー…
重い大きな扉を開くと、そこには金やら銀やらでできた高価な品がたくさんあった。…どいつもこいつも…ギラギラしてやがる…。
「……。」
「さあ、どれでもいいぞ。」
自由に選びなさい、と言ってハハハ、と豪快に笑い部屋を出た。俺とこの女を部屋に残して。
「……。」
『すみません、お父様が…』
「いや、平気だ…。」
『あの、ご迷惑…だったでしょうか?』
「そんなことはない、気にするな…。」
俺がそう言ってやると、彼女はふんわりと微笑んだ。よかったと笑う彼女が儚いが眩しくて、ついそっと、目を伏せる。
『アクセサリーはお嫌いですか?』
「付けたりはしないが、別に嫌いじゃない。」
『……では、こちらの指輪はいかがでしょうか。銀で出来ていますし、気に入らなかったら売ってお金にでも変えてしまって結構ですので。』
そう言って彼女が俺に渡したのは、シンプルなシルバーの指輪。飾り気はないが、光の加減で色が青や緑にも見えるとても綺麗なものだった。
「悪く、ないな…。」
『!』
俺が漏らした言葉と笑顔に、彼女がその大きな黒目がちな瞳を数回瞬かせて驚く。しばらくしたあと、ふふ、と可愛らしい笑みが溢れた。
『ふふっ…それ、私のお気に入りだったんです。』
「なら、何故俺に…」
『……いつまでもこんなところに閉じ込められていては、可哀想じゃないですか。』
その美しい瞳をそっと伏せて、
彼女はたくさんの輝く品がならべられている棚にそっと触れながら、少しだけ困ったように笑って話した。
『私、今日は無断外出だったんです。昔はよく、亡くなってしまった母の代わりに叔母様が居て、はしたないって言われていたから、あまり市街地を自由に歩き回ったり、遊んだりできなくて……。』
「……。」
『だから、貴族の家に生まれてきたことを、私は今でも喜べないんです。
もっと自由になりたい。
鳥籠に囚われた鳥のように生涯を終えるのも、絶対に嫌。
……もっと普通の家庭で、皆と笑いあって過ごせば、裕福でなくたって…幸せになれるんです。
だから私は、いつかここを出て旅をしたい。
壁の外に行きたい、
世界を、この目で見たいんです。』
遠くを見つめるような、彼女の瞳。
強い意志を感じさせるその眼光は、小さく揺れていた。くるりとこちらに向き直った彼女は、柔らかい笑みを浮かべている。
『すみません、つまらないお話を聞かせてしまいましたね。』
「……そんなことない。」
『……ありがとうございます。それ、貰っていってくれますか?』
「分かった。これを貰おう。」
『はい、ありがとうございます。』
そう言ってふと窓の外を見た彼女が、驚いたように目を丸くする。どうしたものかと俺もつられるようにして窓の外を見ると、どうやら思っていたよりもかなり時間が過ぎていたらしい。その暗い空には、青白い月が昇り始めていた。
ー…
『…こんなに長くお時間を取るつもりはありませんでした……本当にすみません。そちらまでは我が家の馬車でお送り致しますので。』
「……悪いな。」
頭を下げた彼女を見ながら思う。
……改めて聞くと相当な金持ちだ。
馬車なんて俺ら兵士たちは見る機会も少ない。そっと俺の手を握って、彼女がまたふんわりと笑った。
『何かありましたら、いつでも頼ってください。出来る限り力になります。』
「……ありがとう。」
そう言って馬車に乗り込む。
『っ、あの…!!』
「?」
扉を閉めようとした直後、彼女がその澄んだ声を大きくした。
『貴方の、お名前は…』
「……──リヴァイだ。」
そう言うと、彼女は表情を一際明るくして俺を見上げた。月明かりに照らされた彼女の白い肌が、美しく見える。
『どうぞ私のことはなまえとお呼びください。』
「……分かった、そうしよう。」
『今日は本当に、ありがとうございました。…ではリヴァイさん、おやすみなさい。』
「……ああ、おやすみ。」
窓からちらりと、姿が見えなくなるまでこちらを見送る彼女を見る。……彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
なんだ、この気持ち…
胸が苦しい…
「クソ……なんだってんだ、」
ぽつり、一人馬車に揺られながら呟く。
苦しさとほんの少しの胸の高鳴りを覚えながら、初めてのその感覚に薄く笑みを溢した。
自分を見送っていた彼女の身体に、
何が起こっていたか知らないまま。
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