「 向日葵の中で 」









『お兄ちゃん、見て!私より全然おっきいよ!!』
「そりゃあだって…アルデ小さいじゃねぇか…」
『そんなことないもん!!』


俺の前を歩くアルデは、頬を膨らませて振り返った。



今は844年、8月。

アルデがうちに来てから約1年半が経った。


オレたちは9歳になり、
随分とあの頃に比べたら成長したと思う。見た目も中身も。


『向日葵って綺麗だねー』
「向日葵見ると夏って感じするよな。」
『すごく分かる!』


ふふ、と隣で笑う彼女は、とても綺麗になったと思う。彼女のことを好きだと自覚したあの時から、オレはこの気持ちのやり場に困っていた。

アルデはオレを兄貴としてしか見ていないだろうし、妹という立場の彼女に伝えたところで拒絶されるにちがいない。


けれど時が経てば経つほど、
この想いは募っていくばかりであった。



『ねぇお兄ちゃん、これ持って帰っちゃだめ?』
「ん?いや…別にいいんじゃねぇか?」
『じゃあ持って帰ろーっと!』


お母さん喜ぶかなーと言って、麦わら帽子を深く被る。可愛らしい半袖のワンピースをふわりと靡かせて、向日葵の中を小走りにはしゃいだ。そして、一本の大きな木の根元に座る。オレもそんな彼女の隣に腰掛けた。


『エレンお兄ちゃん。』
「ん?」
『ちょっと、話しておこうかなって思うことがあるの…。』
「オレに?」

『うん…。お父さんとお母さんは知ってると思うけど…。

……私の、本当の家族の話。』


薄く微笑んだ彼女とオレとの間に、涼しい風が吹き抜けた。大きな木の影が葉を鳴らして揺れる。ドクンと、心臓が大きく跳ねた気がした。



『私ね、一人っ子だったの。

パパとママ、それからおばあちゃんの三人と一緒に暮らしてた。

ママはおばあちゃんと一緒に綺麗なお洋服を作って売るお店をやってて、パパ…は────』



言葉に詰まった彼女の横顔を見ると、瞳は切なげに揺れていた。




『パパは、……調査兵、だったんだ──…』



ハッと息を飲む。
ドクンドクンと脈打つ心拍に呼吸が上手くできなくなって、まるで水の中に居るような錯覚に囚われた。

オレが英雄と称えたその調査兵団に、
アルデのお父さんが居たなんて…!!


「な、なあ…壁の外ってどんな感じだとか言ってたか?」
『え?……うーん、わからないなぁ…』
「じゃあ、海ってやつはほんとにあるのかとか…」


オレが目を輝かせて話すと、アルデは困ったように眉の端を下げて笑った。



『ごめんねお兄ちゃん…。
パパはもう、この世界には居ないから……聞きたくても、聞けないんだ…。』
「……!」
『パパなんて言ってるけど、本当は顔もよく覚えてないの。私の小さいときに兵士になって、帰ってくることはほとんどなかったから…。

でも、ちゃんと覚えてるものはある。

あの匂い、声、あたたかい感じ…。
顔は覚えてなくても、感覚は残ってるよ。

……パパは、本当に…』



本当に、優しい人だった。

懐かしむような遠い瞳で、彼女は笑った。そんな表情に、胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。


そして、後悔した。

ああ、オレはなんてことを聞いてしまったんだろうと。



「ごめんアルデ…、」
『そんな顔しないでお兄ちゃん…。
……仕方ないよ。外のこと、やっぱり気になるもんね。』


ふふ、と笑って彼女は続けた。


『それでね、私が5歳の時にパパが死んでしまったの。

……雨の、強い日だった。
金髪のお兄さんが家に来て、パパの大切にしていたロケットペンダントを遺品として持ってきてくれたの。

その時、私は死んだっていうことがまだ理解出来ていなくて、
″これパパの…。パパは?帰ってきてるの?″って、笑って聞いた。ママやおばあちゃん、そのお兄さんに。

……ママは泣き崩れて、おばあちゃんもそんなママの肩を支えながら泣いていた。

けれど、雨に濡れたお兄さんが教えてくれた。″もう君のお父さんは、この世には居ないんだ″って。』

「…。」

『……悲しかった。

もう会えないことが分かって、この世界のどこを探し回ったって居ないってことが理解できてしまったから。

でも、お兄さんは泣きじゃくる私を抱き締めて、″君のお父さんは勇敢な兵士だった。きっと彼の頑張りは人類の未来を大きく切り開いたことだろう。″そう言った。

そのお兄さんも悔しそうに泣いていた。
そして確かに″すいません、ごめんなさい″って、そう言ったの。』


風が吹いて、アルデの髪を揺らす。
少し遠くで鮮やかな向日葵がざわざわとぶつかり合う音がした。


『……何故謝ったのかは分からないけれど、その悔しそうな顔が今でも鮮明に脳裏に焼き付いて離れないんだ…。

…そのあと、おばあちゃんもママ病気を患って、私が7歳の秋に死んでしまった。…それで身寄りが居なくて困っていた私を、ママやおばあちゃんを診てくれていたイェーガー先生が引き取ってくれたの…。』

「じゃあ、アルデにはもう…血の繋がった家族が───…」

『……うん、居ない。誰一人として、この世には…。』


胸元のペンデュラムを太陽に透かして、遠い瞳でそれを眺める。そんな彼女は、まるで近いのにどこか遠くにいるようで。オレは、いつの間にか彼女の身体を抱き寄せていた。


『……お兄、ちゃん?』
「アルデ…。お前は、独りじゃない。お前にはオレや母さん、父さん、アルミンだっている!血の繋がりなんかなくたって、オレらは…家族だろ?」
『……っ、──』


アルデの瞳が揺れた。
そして、震えた声で言う。


『お兄ちゃん、私、お兄ちゃんに会えてよかった…お母さんやお父さん、アルミンにも…本当に、会えてよかった──…』
「っ、ああ、オレもだ──…」
『ねぇお兄ちゃん、』
「ん?」

『ありがとう…』


オレの顔を見上げて笑う彼女は、涙を流していた。


『でも、お願い…──
調査兵団に憧れたりなんかしないで…。
パパの命を簡単に奪ってしまった巨人たちのいる今の壁外になんて、行かないで…っ、』


彼女がオレの背中に回した手に力が込められる。



『大切なものを、もう…失くしたくない……!』




──ああ、そうか…

彼女の言いたいことはよく分かる。


自分から死に急がないでって、
そういうことなんだ──…



オレは、泣く彼女の頭をそっと撫でながら、ただただ青いその空を眺めていた。

……まだ調査兵になりたいという願いが捨てきれない自分を、最低だと思いながら。






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