「 壊された日常 」
「ただいま。」
『ただいまー!』
「おかえりなさい。」
「遅かったのね三人とも。」
帰ると、お父さんとお母さんがそこにいた。……今は845年の秋。ミカサが来てから約1年ほど経った。
外に出て今日も冬に備え、薪を拾い集めていた。途中で昼寝もしたりしたけれど、いつもより遅くなった理由はそれだけじゃない。
「いや…まあ、色々あって……」
目を泳がせながら話すお兄ちゃん。
ミカサは私を撫でながら、そう答えるお兄ちゃんに呆れたように小さく息を吐いた。
「あれ?父さん今から出掛けるの?」
「ああ、2つ上の街に診療だ。」
お兄ちゃんとお父さんが会話を交わしている中、ミカサがぽつりと言った。
「……エレンが、
調査兵団に、入りたいって…」
『!』
「ミ…ミカサ!!言うなって──」
「エレン!!」
お母さんがお兄ちゃんの名前を怒気を含んだ声で呼ぶ。正直、この話は苦手だった。
……お兄ちゃんは外に憧れている。
調査兵団に入りたい理由も、きっと外への憧れが大きいだろう。
けれど、外に興味を持つことは王政府の方針として厳禁とされていた。そのせいもあり、お兄ちゃんは反対されると分かっていたからこそお父さんやお母さんにはそのことを秘密にしていたのだ。
「……エレン、どうして外に出たいんだ?」
「……外の世界がどうなっているのか、なにも知らずに一生壁の中で過ごすなんて嫌だ!!……それに、
ここで続く人がいなかったら、今までに死んだ人達の命が無駄になる!」
「……」
少しの間沈黙が続いて、お父さんがそうかと一言だけ言った。
「そろそろ船の時間だ、行くよ。」
「あなた!」
調査兵団に入ることについては何も触れずに診療へ行こうとするお父さんを、お母さんが引き止めた。
「エレンを説得して!」
「……カルラ、人の探求心とは誰かに言われて抑えられるものではないよ。
…エレン、」
お兄ちゃんを呼んだお父さんが、服の中から鍵を取り出した。
「帰ったらずっと秘密にしていた地下室を…見せてやろう。」
「ほ、ほんとに!?」
お兄ちゃんの目が輝く。
お父さんは昔から、地下室の入り口で立ち止まる私を見て「気になるか?」と優しく聞いてくれた。けれど私は、何となく気が進まなくて。その質問をされると決まって首を横に振ってきた。
「駄目だからね。調査兵団なんて馬鹿な真似。」
お父さんの背中が見えなくなると、お母さんが少し強い口調でお兄ちゃんに言う。
「は!?馬鹿だって…!?
オレには…家畜でも平気でいられる人間のほうが、よっぽどマヌケに見えるね!!」
『あっ、お兄ちゃん…!』
「アルデ!!」
お兄ちゃんの背中を追うように走り出すと、お母さんに手をつかまれた。
「アルデ、ミカサ。あの子はだいぶ危なっかしいから、困ったときは二人で助け合うんだよ!」
「うん…!」
頷いたミカサにつられるように、私も頷いた。走り出して、後ろを振り返る。そんな私を見てお母さんが優しく笑った。
その笑顔にひどく胸がざわついたのを、
確かに覚えている。
* * *
ー…
『……お母さんっ、!!』
涙で歪む視界、
押し寄せる不安の渦、
一瞬で地獄に変わった街並み。
何もかもが信じられなくて、怖くて、私はそれらを振り切るように、あの温もりを求めて走った。
「母さん!!」
目を見開いて駆け寄る。
思い出がたくさん詰まったその家は、壁の破片で潰されていた。
……どうしてこんなことになったのか、
すべてはあの巨人のせいだった。
およそ60mくらいのその巨人によって、私たちの住むシガンシナ区を守る壁が破壊されたのだ。容易く足で蹴って。
『お母さん…?』
「、アルデかい…?」
家の木片に下敷きになったお母さんが、小さく言った。
「アルデ、ミカサ!そっちを持て!!この柱をどかすぞ!」
『うん!…───あ、』
ズシン、
辺りに響く大きな足音に、一瞬呼吸が止まる。恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは巨人の姿だった。
今まで見たこともなかったために、その脅威を目の当たりにし、足がすくんだ。
「アルデ!!」
『──っ、ご…ごめん…!』
「…巨人が、入ってきたんだろう?
エレン!!アルデとミカサを連れて逃げなさい!!」
「!」
「早く!!」
「っに…逃げたいよオレも!!早く出てくれよ!!早く!一緒に逃げよう!!」
私たち三人が一生懸命に力を入れて退かそうとしても、お母さんの上の大きな木片は僅かにしか動いてくれない。
早く、早くしなきゃ…!!
「母さんの足は瓦礫に潰されて、ここから出られたとしても走れない…。…わかるだろ?」
「俺が担いで走るよ!!」
「!!…どうしていつも母さんの言うことを聞かないの!最期くらい言うこと聞いてよ!
っ、アルデ、ミカサ!!」
「ヤダ…イヤダ…」
『私が治す!!私がきっと治してみせるから…っ、だから!』
そんなこと、言わないで…───
ぐるぐると思考回路を巡る感情。
どうすることが皆のため?
……やめよう、考えたって仕方ない。
…もしお母さんを放って逃げることになるくらいなら私も一緒に───
「お、おいハンネスさん!?何やってんだよ!?母さんがまだ…!!」
ふわり、体が浮いた。
お兄ちゃんの声にはっとして、顔をあげる。すると焦ったように私たちを抱えて、家から遠ざかるように走っていくハンネスさんがいた。
「エレン、アルデ、ミカサ…生き延びるのよ…!!」
『っ、おかあさん…!!』
手を伸ばすけれど、どんどん距離は離れていって。何度お母さんと叫んだのだろうか。
そして、私は見た。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
その光景を、
巨人が人を…お母さんを食べる瞬間を。
『なんで、なんでこうなるの…!』
唇を噛み締める。
僅かに血の味がした。
優しかったお母さん。
私を本当の子供のように接してくれた。
血の繋がりもない、こんな私を。
時には叱ってくれた。
心配もたくさんかけた。
それでも、
お母さんはいつも、私たちにたくさんの愛情を、注いでくれていたんだ。
『っ、───』
壁と共に壊された、
優しくて大好きだった日常。
それはあまりにも容易く、ひどく残酷に。
音をたてて崩れていった。
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