「 初めて怒った日 」








「おい、アルデ!言うこと聞け!!」
『やだ!聞かないもん!』


その細い手首を掴んで、部屋を出ていこうとする彼女を止める。オレは、とても焦っていた。


『あれは、ママの形見なの…!あれがなきゃだめなの…!!』


アルデは、涙を流しながら言った。

オレたちが揉めている理由は、彼女がいつも首から下げていたペンダントにあった。


「オレは反対だ!
こんな雨の中探しに行ってお前が怪我でもしたらどうすんだよ!?」

『そんなの、あれがなくなることに比べたらどうってことない!

この手を離して!!』


彼女のいつもの優しい目が、オレをキッと涙目で睨む。それだけあれは彼女にとって大切なものなのだろう、そう思って目を伏せた。




彼女がそのペンダントをなくしたのは、
今日の午前中。

遊んでいたときに急に強い雨が降り始め、地面を叩きつけるようなそれと空を走る雷に慌てて家へ帰った。

そして濡れた衣服を乾かそうと脱いだ時、彼女はその母の形見であるペンダントが無いことに気がついた。



そして、それをこの豪雨の中探しに行くと言って聞かない彼女と、そんな彼女を心配して怒鳴るオレが喧嘩へと発展してしまったのだ。


「アルデ、気持ちは分かるけど危ないわ…。あなたがその力を使えるからといって、いくら怪我をしてもいいというわけではないのよ。」


母さんがいくら諭しても、彼女は冷静さを欠いているようで、俯いて泣くばかりだった。


『やだ…あれは、ママがくれた…私にくれた、大切なものなのに……っ

雨なんかで諦めるのは、いやだよ…!』


幸い、今日はたまたまケースに入れたままポケットにしまっていたというので、雨に濡れて錆びる心配は無さそうだ。

だが、この時期たくさんの草木や花が生えているため、その辺に落ちてしまっていたとしたら探すのは困難である。

そして何より、この豪雨では視界も悪く効率が悪いことは明白だった。



「なあ、明日なら雨止んでるかもしれねぇから、明日にしろよ?オレも、アルミンにも頼んで一緒に探すから…」
『だめなの、明日じゃ…。あんなに綺麗なんだもの、もしかしたら誰か拾っちゃうかもしれない…そんなの絶対にいや!』
「ッ…──アルデ!!」


オレの手を振り払って、アルデが外へと走っていった。開かれたドアの奥に見えた外の景色は暗く、強い雨が地面を叩いていた。


「待ちなさい、アルデ。」
『!』
「これを着て行きなさい。少しは違うと思うわ。傘も、一応持って。」
『……うん、ありがとう…お母さん!』


小さなその背中が、閉じられたドアの奥に消えた。母さんが渡したのは、雨合羽と傘。それらを渡すということは、彼女が探しに行くことを認めたということだ。


「っ、母さん…!!」
「……お母さんの形見なら、ああなるのも無理ないわ…。あの子には、ご両親がもう居ないのだから、唯一思い出すきっかけとなるあの形見が、よほど大切なものなのよ…。」


行かせたくなかったけれど、と付け足して窓の外を見る母さん。そんな母さんの瞳は、不安げに揺れていた。









***








ー…


『はぁ、はぁ…』


家を出て、約一時間。
今日遊んだ場所、帰ってきた道、その近く。たくさんの場所を探しながら走ってきた。けれど、あれは見つからない。



『なんで、見つからないの…』





まだそれほど時間は経っていない。


誰かに拾われた可能性は低い…
それなら、一体どこへ?



『っは、はぁ…』


奪われていく体温、霞む視界、

いくら探しても見つからない絶望感。



それらが一気にアルデへと押し寄せ、
彼女は疲れ果てていた。



『、苦しい…』


もう帰りたい、そう思った。
けれど絶対に諦めたりはしない。

なぜならあれは──…












「″──アルデ″」














『っ、ママ…』



優しく記憶の中で笑うその姿に、涙が溢れた。


どこを探してももうこの世界にはいない。

それを理解しているからこそ、
あの形見は手離せないものなのだ。



『絶対、見つけるんだから…!』


そう、走り出そうとした時だった。



「アルデ!!」



大好きな声が、耳に届いた。




『お兄、ちゃん…?』
「アルデッ…!!」



振り返った瞬間、優しい体温が身体を包んだ。



「よかった、無事で…。怪我してねぇか?転んだりとか…」



心配そうに顔を覗き込むその姿に、思わずまた涙が溢れた。


「オレも探すからさ。二人で探したほうが早いだろ?」
『っ、お兄ちゃん…!!』
「わ、っ…!」


抱きついて、その優しさ、その香りを感じる。


『怒ってごめんなさい…、』


そう言うと、お兄ちゃんは笑って私の頭を撫でてくれた。


「オレも、ごめんな。その…お前の気持ちとか、全然考えてやれなくてさ。」


ダメな兄ちゃんだよな、と言うお兄ちゃんを、ぎゅっと強く抱き締めた。



『そんなことない…。

エレンお兄ちゃんは、
優しくて、楽しくて、私の大好きなお兄ちゃんだよ…。』


見上げると、お兄ちゃんは顔を真っ赤にして私を見ていた。…やっぱり面と向かって言うと妹でも恥ずかしいものなのかな?


「っあ、ありがと…な……」
『うん!』


お兄ちゃんが私の手を引いて歩き出す。雨は、いつの間にか止んでいた。雲も晴れてきて、穏やかな風が吹き始める。



『?』



雲の隙間からこぼれてきた太陽の光に、何かがキラリと光った。



『っ、あ!』
「?」
『あったぁ!!』


近くに寄ってみれば、それは私が落としてしまったあのケース。どうやら反射したのは、箱の角にあしらわれている金の装飾部分だったようだ。少し濡れてしまってはいるが、相変わらず綺麗なその木箱を開けて中身をそっと確認する。中のペンデュラムは、傷ひとつない、母からもらった大切なものだった。


『っ、よかった…!!』


もう無くさないように、と、首に着ける。シャランと綺麗な音を響かせて胸元で揺れた。


「もう無くすなよ。」
『うん!』


二人で手を繋いで帰る。


思い返せば今日、
この家にきて、初めて怒ったな…。

空を見上げた先には、七色の大きな虹が架かっていた。




.

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