幸福への翼 | ナノ


▽ 終業式の日



「″───では、みなさん充実した夏休みを過ごしてくださいね。以上です。″」

人口密度が凄まじいことになっている体育館とも、今日でしばらくはおさらばだ。蒸し暑い上に話は長く、風もあまり通らない。大型の扇風機もまるで意味がないくらいだ。


『はー、暑い…』


その長い話が終わったあとも暑さは健在中で、意識も朦朧としてきた。だが帰りのHRも終わり、いつものように帰ろうと足を一方踏み出した時、私はある問題を思い出したのである。


『あ、兵長…』


坂を下る足が少し速まる。

あれから、昨日は私の寝間着を着てベッドで寝てもらった。サイズを間違えて買ったものだったので大きく、まだ一度も着ていないし、無地のもので色は白と黒というなんともシンプルなものだったので安心した。兵長は幸い私の料理を悪くないと言って完食してくれたし、聞きたいことはまだたくさんあるけれど、ひとまずお互い疲れていたので寝ることにしたのだ。


『足りないもの買いにいかなきゃ…』


一時はどうなることかと思いながらも、なんだかわくわくしている自分が居て。一体どれだけの期間居るのかは分からないけれど、一人暮らしだった私にとっては楽しみで仕方なかった。

いつもより軽い足取りで、私は帰り道を歩いた。




ー…



『ただいまー、って、暑い…』


兵長はクーラーも点けずに床で寝転がっていた。そういえば説明してあげなかったっけ。早帰りとはいえ悪いことしちゃったなあ…。


『あ、あの、兵長!』
「……なんだ?」
『クーラー入れてもいいですか?』

「……くーらー…?」


ごろんとこちらに寝返り、私が手に持ったリモコンを不思議そうに見つめている。にこりと笑ってスイッチを押すと、冷たい風がクーラーから流れてくる。


「なんだこれは…」


まじまじと首を何度か傾げながらそれを見つめ風を感じる兵長がかわいくて、小さく笑みを漏らす。……そういえば、漫画と比較してなかったな…と思い、鞄に入れたままだった紙袋を取り出すと、その中には何も入っていない。


『、あれ?』


おかしいと思い鞄の中を数度に渡って探してみるが、漫画らしきものはなにも入ってなくて。本棚を見ると、進撃の巨人のあった場所がぽっかりと空いている。


『ん、んんー?』


頭を抱えていると兵長がやって来て、腹が減ったとやや小声で言った。なんとなくいつも見ていた兵長とは違う。泊めてもらったことを申し訳なく思っているのか、気を遣っているのか、どこか控えめなかんじ。まあ可愛いからいいんだけれども。


『ごめんなさい兵長、すぐに作りますね!』


散らかした鞄の中身を綺麗に片付け、エプロンをしながらキッチンへ向かう。私が手洗いうがいをしたあと、急いで調理に取り掛かると、兵長はダイニングテーブルの椅子に腰掛け、私が作る様子を眺めていた。


「……なあ、この世界はどうなっているんだ?」
『どう…と言いますと?』
「巨人が、居ないんだ。おまけにバカでけえ建物や変な機械がたくさんある。……服装も、あまり見ないものばかりだ。」


そう言って私の制服を見つめる兵長。やっぱりいろいろと違いがあるよなあ、なんて思いつつ、答えを探す。


『……巨人は、私たちの世界には存在しません。だから、ここでは兵長が戦う理由は無いんです。』
「……お前、」


知っているのか、と言わんばかりの顔をする兵長。知ってるも何も漫画の世界の話だったし、大人気なんだもん。


「そういえば、ロシェリー…と言ったな。」
『はい。』
「……お前は、昨日初めて会ったはずの俺の名前も知っていた。それは何故だ?」

『……話せば、長くなっちゃいそうなんですけど… 。』
「構わない。話せ。」

『……私を含むこの世界の人々からすれば、あなたたちは漫画のキャラクターなんです。』
「漫画、だと…?」
『今はどういうわけか、私の家にはありませんが…。私は前から、貴方をずっと漫画で見てきた。もちろん、調査兵団やエレンくんたちのことも、巨人のことも、全部。』
「………エレン?そいつが誰だかは知らねえが…じゃあ、俺はトリップとやらをしてきた、というのか…。」
『トリップ?』


エレンくんを知らない、ということは…エレンくんがまだ訓練兵を卒業する前か。彼のトリップという言葉を私が聞き返せば、彼は少し考えたあと、意識が途切れる前から私の部屋の前に来るまでのことを話した。
話をまとめると、彼は壁外調査とは別の任務で仲間を助けた後、立体起動装置の故障により高くから落ちてしまったそうだ。だがしかし、痛みを感じるより先に目映い光に包まれ、そのまま意識を失ったという。


「───それで、意識が戻ったときにはここの前に居た。」
『…それじゃあ大変でしたね…。』
「……オイ、」
『?』
「…信じるのか?こんな、突拍子もねえ話を…。」
『…はい。私昔からファンタジーが好きで、こういうトリップの話もいくつか読んだことがあります。でも、今の状況はその話とまるで同じようなので……信じます。』


そう言いながら、出来上がったオムライスを彼の目の前に置く。彼は数回目を瞬かせたあと、私が席に着くのをおとなしく待ってくれていた。先に食べちゃってもいいのになあ、なんて思いつつ席に座る。


『いただきます』
「……いただきます」


私のあとに続くように繰り返す彼がとてもかわいくて、思わず笑みが零れた。人類最強も意外と可愛い人なんだな、なんて思いつつオムライスを口に運ぶ。…うん、まあまあ。……私は結構好きな味だけれど、兵長の口に合うだろうか。


『……お口に合いますか?』
「…こんな料理は初めて食った。…だが、悪くない味だ。」


兵長が少し柔らかく笑うものだから、つい見とれる。だって、すごく綺麗だから。


『それは、よかったです。』


にこりと笑めば、彼は顔を逸らして言う。


「…丸一日も、泊めてもらってすまない。」
『あ、いえいえ!どうぞ帰る手段が見つかるまで、うちでゆっくり暮らしていただいて構いませんから。』
「…それは助かるが…本当にいいのか…?」
『はい。一人暮らしだとちょっとつまらないし…寂しくて。だから兵長が来てからの今日1日が、すごく楽しいんです!』
「…お前が嫌でないなら、しばらくの間世話になる。」
『ええ、よろしくお願いしますね。』


今日いろいろ買いに行こうと思ってたけど、明日でいいか。


そう思いながら、いつもは並ばないはずの二つの食器を見つめ、そっと笑う。
夏休みは、まだまだこれからだ。


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