最近なんとなく悶悶と考えることが増えて、すっきりしない日が続いている。 しのぶや竜ちゃん、サクラ先生や弁天さまやおユキさん……かわいい女の子には困らない毎日なのに、ふとしたときに無意識にため息をこぼしている自分に気付く。 こんなんではいけない……そうだ、この学校という閉鎖空間がいけないのだ。 同じ制服に似たような髪形をさせ、集団行動で個人の自由を律し、教室などという名前をつけた牢獄に思春期の子供たちを閉じ込め退屈な呪文を聞かせるくせに寝ると怒りだし廊下に立たせる鬼のような教師たち。 むごい、むごすぎる。理不尽だ。こんな教育制度は間違っている。ただちに廃止すべきだ! ……と、必死に叫んでも所詮はこの広い宇宙のうえではちっぽけな存在である自分に世界を革命する力などあるはずもない。現実はがむしゃらに来るし。(絶対運命黙示録!) というのはいいとして、はてない無力感に苛まれ気分が塞いだ俺は、少しでも綺麗な空気を吸いに屋上に出ることにした。 「ダーリン、教室出てどこ行くっちゃ」 「どこだっていいだろ」 「授業始まるっちゃよ」 「だからだよ!」 若者諸君、書を捨てよ、街に出よう! ☆ ☆ ☆ と、いうわけで喚くラムをどうにか撒いてようやくたどりついた、空へ続く扉を勢いよく開ける(残念ながら街へは出ない)。 「うわっほーーー!」 この青空、吹き抜ける風、昼前の澄んだ空気、誰もいない空間、見下ろす町並み! いまこのときにクラスメイトは蛍光灯の光の下リーダーの音読なんかやっていると思うと、余計空気がおいしく感じられる。 さて、別に馬鹿でも煙でもないのだがやはり屋上に来たからにはより高いところにのぼりたいものである。 入ってきた扉のすぐ横の梯子に足をかける。 ラムを撒くために走り回ってから階段を上って来たために少し息があがっている。 注意しながらのぼりのぼり、空を見ながら誰にも邪魔されずゆっくり昼寝じゃ……と思って両足をついて前に向き直ったそのとき。 目にはいった光景がにわかに信じられなくて、一二度目を瞬かせた。 「……め、面堂…?」 馬鹿でかい貯水タンクを背もたれに座っているのは、紛れもなく奴そのものだった。 予鈴ならもうとっくに鳴った。 一応優等生のこいつが授業をサボって居眠りとは少し考えにくい。 大方、休み時間にちょっとここで読書でもしようと気取っていたらつい眠ってしまった、といったところだろう。 手元には分厚い文庫本が頼りなく握られている。表紙を見てみたが、案の定聞いたこともないカタカナの名前と趣味の悪そうなタイトルには塵ほども興味をそそられなかった。 っていうか、それはいいとして。 そもそもに“最近なんとなく悶悶と考えることが増えて、すっきりしない日が続いている”原因は、紛れもなくこいつではなかったか? どうしてたまにはリラックスしようと赴いた先にもこいつがいるのか。 どこまで振り回すつもりだ……勘弁してくれよ、まったく。 すやすや眠っている面堂の顔を見ていたらむしょーーに腹が立ってきた。 そうだ、叩き起こして追い出してやればいいだけの話だ。 少々気付くのが遅すぎたが、準備は万端、手には突如出現した巨大ハンマー! 両手で持って頭上に掲げる。いざ振り下ろさん…という時だった。 「ん…っ」 夢でうなされでもしたのか安らかだった面堂の表情が一瞬曇り、寝返りを打とうとするように体を少し動かした。 布団に寝ているわけでもなく不安定な姿勢だったので、背面の壁に支えられていた上体がバランスを崩し横に倒れた。 「あっ…――」 ――完全に無意識だった。 「…っぶねー…」 人一人の上体分の重みを腕に認識した瞬間はっと我に返る。 床に打ちつけそうになった肩を、滑り込んだ俺が受け止めていた。 ……って、あぶねー、じゃねーよ、俺っ!! 殴りつけて起こそうとしてたのにわざわざ面堂のこと守ってどうすんじゃっ!! 腕の中の面堂の顔を覗いてみると、今の衝撃にもまったく動じずすーぴー寝てやがる。 のんきなもんだ。阿呆みたいに純粋なその顔を見たら怒る気もなくした。 なにをしてるんだ俺は…。 ため息をついても状況は何もかわらない。 起こしてしまわないように腕のなかの体をそっとねかせた。 思ったよりも華奢な肩は、コンクリートに叩きつけたりしたら壊れてしまいそうだった。 無造作に床になげだされた手に目がいく。 細い指が、開こうとしているのか閉じようとしているのか、曖昧な角度にそれぞれ曲がりながら美しいバランスを保っていた。 「……もともとほっせー指してんだな…」 起きないか確かめつつ、そっと指先に触れる。 あのとき握った手をおんなじ温度だった。 指の背をなぞるように根元まで辿って、手全体を軽く握ってみる。 あのときは女の子の手ってこんなに白くて小さくて細くて折れそうで、でも柔らかくて暖かいものだったかと驚いたけれど、 女の子じゃなくて今の面堂の手も、あのときのかわらず折れそうなくらい細くて白くて柔らかくて暖かいことに更に驚いた。 「んん…」 ちいさく開いた唇から声が零れた。 起こしてしまったかとヒヤリとして思わず手を離す。 だが瞼はいつまでも開かれない。どうやら寝息が音になって漏れただけのようだった。 「驚かすんじゃねーよ………心臓に悪い」 こんなときに目を覚まされたらどうしていいか。 安堵して深い呼吸をつくが、跳ねた心臓がまだ所定の位置に戻らない。 ……いや、違う、今だけじゃなくてさっきからずっと鼓動がうるさくて仕方ない。 いけないことをしているスリルからだろうか。どこか違う気もする。 やめたほうがいい、頭ではそうおもうのに、もっと触れてみたいという本能がおさえきれない。 ――――もしかして俺は、 ――――もしかすると。 あの日からずっと考えていた。 もしかしてあのとき、守ってやりたくなったのも、抱きしめて離したくなくなったのも、髪に触れてもっと体温に触れたくなったのも、いい香りによいしれそうになったのも、ずっと手を繋いでいたくなったのも、キスしたくなったのも全部、女の子だからじゃなくて、もしかして―――― ☆ ☆ ☆ どこか心地よい感触にまどろみのなか意識がゆっくりと揺り起こされる。 ぼんやりとした視界に、うすい朱色と黒とグレーと青が曖昧なかたちで揺れている。 頭が痛い――ベットではないな、どこか硬い平面に頭を置いているようだ。 ここはどこだ…。だんだんと鮮明になる色の輪郭を脳が物体として認識していく。 これは床、これは空、これは自分の手、これは自分じゃないものの手―――― ん? 「……何を、している…?」 視線をやった先に、なんとなくつい今まで見ていた夢に出ていたようないなかったような気がする人物の顔が青い空をバックに逆光でうつしだされた。 「あ…………おはよ」 ☆ ☆ ☆ 「どういうことか説明してもらおうか」 「その物騒なもん仕舞えよ」 「きさま、僕に命令なんてできた立場か! 寝首をかこうとは見損なった!」 「だーかーら、別にそんなんじゃないと言っとるだろーが」 「だれが信用するか!」 「信用しないなら話しても意味がない。」 「きさまはー……」 まったく可愛げのないやつだ。ため息をついてから、我が面堂家に伝わる秘刀を一度鞘に収めそれごと放る。 カランコロン、とやけに安っぽい音を立ててコンクリートの上を転がった。……本当に銘刀なのだろうか? 「刀は仕舞ったぞ。さあ納得のいく説明をしてもらおうか」 床に座ったままの諸星を立ったまま見下ろす。 「……だから、さっきも言ったろ。気晴らしに屋上来たらお前がいたからびっくりしてたんだよ」 どうも、そっぽ向いて答えるこの様子は真実すべてを語っているようにはとても見えない。 「何か悪さをしてただろう」 「……ちょっと指見てただけだろ」 「嘘をつくな! 僕の指に一体なんの用がある!」 「……綺麗な指だなって思って見てた」 「なっ――」 思わず言葉につまる。 この状況で、冗談か? 「ふ、ふざけ……」 怒ろうとしても、自分の意思と裏腹に顔が赤くなるのが分かった。 「ふざけてないよ」 諸星が立ち上がったのに気付いて距離を取ろうとしたけれど、一手遅かった。 刀を置いて無沙汰になった手を取られる。 「は、放せっ」 「やだ」 「放せと言ってる」 「やだってば」 そのままその手を持っていかれて、甲に触れるだけのキスを落とされる。 「……っ…!」 思わずひっこめようとした手はやはり強い力で抑えつけられた。 「逃げるなよ」 「……悪戯が、過ぎるぞ、諸星」 「だから、悪戯じゃないって」 どこかでしたような会話だ。忘れるはずもない、一月も前のことなのにもう頭の中で何十回も繰り返して、夢にまで出てくる光景だ。 気にしなければいいのだけれど、どうしたらいいのか分からないもやもやした気持ち悪さをあのときからずっともてあましていた。 今まで来たこともなかったのに、休み時間には静かな読書環境のためと理由をつけて屋上にまで足を運んで(もちろん読書になんて身が入るわけもなく)ぼーっとしていたのだ。 今日だってそうだった。 いつもどおりぼーっとして、教室に帰って、平然とした態度をとり続けられるはずだったのだ。 それなのに、どうしてこんなことになっているのだろうか? ……もういやだ。この男の勝手な行動に自分ばっかり振り回されるのはもう散々だ。 「……放せ」 「……やだって」 「困るんだ…っ!」 本当は、こんなやつを無視できない自分に一番腹がたつ。 情けなくて声を荒げた拍子に不覚にも涙腺が緩んだ。 見られたくなくて顔を背ける。 「……諸星は、いい加減な気持ちでこんな…、こんなのどうとも思わないんだろうが、こっちはいちいち振り回されてとんだ迷惑なんだ、気紛れでこんなこと…されると、困る」 「気紛れって」 「気紛れだろうっ、この前のときだって…!」 必死に隠し続けてきた事象が暴かれたかのように、“この前の”という単語に諸星が反応したのが見て取れた。 自分でも何を言っているかよく分からなかった。いらいらする、理路整然としていないのは嫌いだ。 でも仕方ない、だって、自分でも自分が何を考えているのかさっぱり分からないのだ。 こんなことを言って、諸星になんていって欲しいと思っているのか、自分でも分からない。 自分が何を求めているのか、さっぱり分からない、分かりたくもない。 「なんだ…」 小さな沈黙のあと諸星の声がぽつりと落ちたと思ったら、掴まれたままの手をぐいと引かれた。 拒む暇もなく抱きしめられる。 「やっ…放せと――」 「…俺ばっか気にしてんのかと思ってた」 「――え?」 「この前のこと」 「そ、それはこっちの台詞……って……え?」 言われた意味がすぐに信じられなくて、諸星の顔を見る。 「諸星……顔、真っ赤だぞ」 「……お前こそ、泣いてんじゃん」 「なっ泣いてない、ばか! 欠伸が出ただけだっ」 はいはいそっかそっか、と強がった僕を軽くいなす諸星の顔が近付いてきた。 そのまま睫毛の先の雫を唇で拭われる。 至近距離で目が合うと、もう自分も彼も笑っていなかった。 「……気紛れじゃねーよ」 「…っ…」 彼の手が首筋を這って頬に触れてくる。 それだけなのに、甘すぎて体中の力が抜けてしまう。 「こうやって触れたいって、ずっと思ってた」 そのまま真剣な声で耳元に囁かれたらもう立ってなんかいられない。 ふらついた背中が給水タンクにぶつかって、そのままずるずると腰をつく。 でも手は捕まれたままで、僕のうえに膝を跨ぐかたちで諸星が座ってきた。 「ず、ずるいぞ……」 「何が?」 言いながら、彼の唇が額に触れる。 いつも冴えないのに、どうしてこんなときだけばかみたいにかっこいいんだろう、と悔しくなる。反則だ。……絶対言わないけれど。 乾いた唇が、鼻先、頬、首筋と順々にキスを落としていく。 唇が、吐息が、かすかでも皮膚に触れるたびに体が熱くなる。 「やっぱいい匂いする、お前」 「……ばか、くすぐったい」 首筋に鼻を寄せられてくすぐったくて身を捩る。 それだけじゃない、光を柔らかく弾きながらふわふわと皮膚をなでる色素の薄い髪も、触れてくる熱も秘密話のような甘い温度の声も、彼のすべてがくすぐったくてたまらない。 この前と同じ温度でこうやって触れられたいと自分もずっと思っていたことに、ようやく気が付いた。 「ね、」 この前の続き、していい? すぐ近くで囁かれた言葉に何を今更といった旨の返答をすると、容赦なくのっけから唇を舌で割ってきた。 「ん、やっ…!」 「…いいって、いったじゃん」 「き、さ、まは……っんん」 更に深く舌を絡められて、その後は吐息の応酬だった。 力がどんどん抜けていく体がずるずると崩れる。気が付いたら完全に床にねている姿勢になっている。 熱を求める本能が無意識に、諸星の体を更に近くにと抱き寄せるように両腕をその首に回していた。 「……誘ってんの?」 「ち、ちがっ…!」 「どっちにしろ、授業1時間分あるんだし、ね」 「…………ばか」 たしかに、お互いにキスで終わりそうもない。 (お題:気紛れなんかじゃないと言って) |