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prologue [ 2/125 ]
「ここに、居よ?」
にぃっと、そいつは笑う。
「……やだ」
俺は顔を背けて、脱げかけていた服を、どうにか着直そうと、肘で頑張ってみる。腕を拘束されているから、手は使えないし、もどかしい。
「お前を保護して、スーパーに行かなきゃ」
「え、買い物中だったの?」
「お前の好きな大福アイス、買ってやろうかと思ったんだがな」
ふえ、と藍鶴が、どこかひきつった声をあげる。 本当は福引きにならんでいただけだ。3等の商品券がほしかったから。
でも、それを信じた藍鶴色は、驚いたような、嬉しいような表情で目を潤ませた。
「一緒に買いに行く?」
「手錠をはずせ」
俺が強く訴えると、彼はにやにやして、わっかに繋がっている鎖を引っ張った。犬の散歩みたいだ。
「どうしようかな?」
どうしようもこうしようもないから外せ、という意見は聞き入れられないらしい。そいつはにこにこ、笑ったまま、また服に手をかける。
だから、だから、暇がないんだよ。
辛うじて自由な足で、蹴りを入れる抵抗に出る。おっと、と腹の前で、彼の手に掴まれて足も動かせなくなった。
……しまった。
咄嗟に足を出すときは、すぐに引っ込められるように考えなければ。
このように封じられてはかなわない。
そんなことさえ忘れていたのか、たるんでいたのか。
「一日休んだだけで、甘くなるね?」
藍鶴色は、冷たく言った。
「うるさいなあ」
そいつは乱暴に言いながら、俺の口の中に指をつっこんできた。指とか美味しくないし。どんなに好きな相手でも、まずいもんはまずい。
うえ、とえずく俺を無視して、しばらく唾液を絡め取られる。
「ん、よくできたね」
「ん、ふ、ざけるな……」
と。玄関から、ピンポン、という明るい音。
何回も連打される。
藍鶴は黙ってそちらに向かった。来い、と俺を引いたまま。
曇り空、風のびゅうびゅうと吹く日だったと思う。そいつ――
藍鶴 色を、
初めて見たのは。
歩道橋の上で、真下の道路を見下ろしていた。
寂しそうに。
酷くやつれていたし、何かを怖がっているようでもあった。
しかし、本当に恐れなければならない何かは、簡単に飛び越えようとしてしまうような、なんていうか、危うい感じがした。
会社帰り……と言っても、前に居た会社をクビになった帰り道だった俺は、行く宛も、明日からのことも考えられないでいて、そんな気分で暗く俯いていても、思わず振り向いてしまったほどには、そいつの纏う空気は異様だった。
「どうか、しましたか」
声を、かけてしまった。彼は俺を見て、ふっと儚く笑ってから、別に、と橋の一部みたいにまた、橋に寄りかかっていた。下を通る車を、なんとなしに、無気力に眺めている。
頼りない目をしたそいつがいつかここから落ちてしまうのではと、俺はなんだか気が気じゃなくて、だから、思わずその手を握った。
指先から、電流がかけぬける。というのは大袈裟だが、俺は生まれつき、変な技術を持っている。その場にいながら遠くの物を見ることが出来るのだ。そして、いわゆる、サイコメトラーでもあった。触れたものの奥に残る何かを、読んでしまう。
「……っ」
藍鶴色の記憶。
だと思う。
監禁され、暴行され、そして、乱暴され、あらゆるものでまみれたその記憶は、たどるだけでも吐き気がしそうで、それに耐えてきたのだと思うと、目の前の彼が、ここから飛び立つ資格は、充分にあるように思えた。
なにを言っているんだろう。
――そんなものに、資格なんかないのに。
「……お前、居場所が無いのか」
思っていたことが、思わず、口から溢れた。
そいつは振り向いた。
きれいな黒髪。
きれいな黒い目。
でも、あまりに淀んだ、瞳。細く痩せた身体。
居場所のある人間という感じは明らかにしない。ストレートに聞いてしまった。マシな表現がまだあっただろうに。
「うん」
そいつは笑う。
「おれ、あいづ いろって言うんだ」
変わった名前。
なのに、なんだか、そいつに似合っているような気がした。
俺も名乗る。
「俺は、解瀬 絹良――かいせ きぬら」
変な名前、と藍鶴は言っていた。
藍鶴色は、あの日から俺のすむアパートに入り浸っている。
……押し掛け女房というかなんというか。
ある日、部屋のそばにいたから飼っている。
こいつ、確かに顔は可愛いが男二人だから、なんとも言えない気分。
シャワー浴びてくるね、とそいつがそちらに向かって行ったのを見届けながら、その音を聞きながら、ため息を吐く。
俺、なんで拾ったし。
藍鶴色を拾ってから、さらに不思議なことがあった。ポストに、見知らぬ札束が置かれ、さらには聞いたこともない、エントリーもしていない、会社の説明会案内が送られてきていたのだった。
普通なら不気味に思うところだ。
詐欺を疑うべきだ。
なのに、いろいろと混乱していた俺は、それらに手を伸ばしてしまって、結果として、現在に至る。
その会社は、俺が会社をクビになった原因でもあり、普段はひた隠しにしてきていた、超感覚的知覚のことを、能力を――
なぜか、知っていた。
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きろくする