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2.airer [ 4/125 ]
「ああ、お取り込み中だった?」
そう言って、ドアの前に立っていた柳時(りゅうじ)が笑う。
明らかな、それらしい格好をしていたから、誤解も仕方が無いようだった。
「今、いいとこだったんだ」
藍鶴色は、不満そうに目の前の男を見た。
彼は、ははっと笑う。
何か力があるわけではなくて、もちろん会社の人、なんだが、事務処理とかそういうのをしてくれる、普通の人だ。
グレーがかった黒髪は斜めに整えていて、なかなか紳士的なのだが、たまに怖い。そんな感じの良いお兄さん。彼は普通の人、なのに、優しくしてくれる。
「心配して来てみれば、夫婦の愛の巣か……」
彼が苦笑いする。
俺も笑う。
「んーん 」
色だけは、不満そうに言う。
「かいせが甲斐性なしだから、まだ、抱いてさえくれないんだ」
……しないのは別に、俺が甲斐性なしだからじゃないのだが。
一応、はいはい、と言う。柳時さんは「そうか、奥さん、頑張れよ」なんて声をかけているから、もうやだ、恥ずかしい。
手錠で縛られた手が、少し熱を持つ。
ぼんやりしていたら「あ、先に俺がだけばいいんじゃ」とか藍鶴が言い出したので、頭を軽く叩いてやった。
「じゃ、俺ら着替えたら会社、戻りますんで」
玄関先で俺が言うと、彼はそうしてくれと言い、俺の頭を撫でて去っていく。本当にいい人だ。
――内面がどんなに、汚れていても。
頭に残った感覚が、彼に気を付けろと告げていた。
その組織で、俺たちが何をするかと思うだろう。なんでもする。
予知して、透視して、記憶を読んでと、そりゃあもう便利。
おおよそ非科学的な、でもそうでもしなきゃ見つからないほどの未解決事件を、たまにクライアントの半信半疑、遊び半分で受け持たせてもらえているのだ。
あと実は求人も表にだせない、胡散臭い会社の連中に仕事が来るのは、警察にカオが効くという柳時さんが、ここを密かな情報筋として使ったりするからでもある。
藍鶴と会ってから、まだ日も浅い頃、ある仕事をした。
クライアントはどこかの金持ちで、夫が7年以上帰って来ないというものだった。
7年も経過していたら、危難失踪とかで死亡届を出せるレベルなのだが、ご婦人は諦めていない。しかし、他の家族や警察は、諦めモードらしい。
ご婦人が「冬、彼が山登りに行ったきり」だというので、彼女から夫の私物でその日も着けていたが、ふもとで見つかったらしいネクタイを貰い、彼女の記憶と、夫の記憶を読み取ることに専念した。
目を閉じる。葉が見える。茶色い、大きな葉。
そして一面の土――
それだけが、見えた。
。枯れ葉だらけの視界。目を、開く。
「……なにかわかったら連絡します」
まだ、情報が足りないから、これについては言わず、頭を下げて挨拶する。今日は、顔合わせというやつだ。
彼女の、このぼろい事務所には、似つかわしくない、贅沢なドレス姿と、豪華なルビーのペンダントが、癪だったが、礼儀は礼儀。
「期待してます。もし本当なら、お金、もっと払いますよ」
よく聞く台詞を残し、彼女は事務所のビルから立ち去って行ったので、俺たちは愛想笑いをした。
本当なら、か。
その通りだ。
なのに、いつも、不愉快になる言葉だ。
期待なんか、してないくせに。
「葉っぱが見えた」
デスクで、契約関係の書類にサインを書きながら、俺は、普段のパートナーであり、会社では、大抵、虚ろな目で、隣の椅子に座ったまま動かない藍鶴に言う。
「葉っぱ?」
そいつは、不思議そうに俺を見る。
葉っぱが見えた。
俺がわかるのは、それだけ。
「なにそれ……どんな?」
藍鶴は興味を引かれたのか、形や、葉の色を深く聞いてきて、ある地方にしか生えない桜の葉だということまで、教えてくれた。こいつは、そういう知識がなぜか無駄にあるのだ。
その後俺は、透視やらなんやらに疲れきったのでその日は寝てしまった。
やがて、一人で下見に行って帰ってきたらしい藍鶴は変で、いつもに増して変で、手には瓶を持っていた。
「おかえり」
と言ったが返事をしてくれない。代わりに、スーツを着た、虚ろな目の藍鶴は、瓶をこちらに見せてくる。
「なんだ、それ」
「これだ、夫」
中に入っているのは、枯葉。枯葉が詰まっている。
「へえ……」
「かいせが見たのが、夫だよ。枯葉になっていた」
「ハハッ、見つからないわけだな」
藍鶴は笑わなかった。
「俺らじゃなかったら見つからないな」という冗談は交わした、けれどその後。
彼はふらついて――意識を、失った。
ガタガタ震えて、何か、発狂して。
それから毎日、吐くようになった彼を見るのは辛い。
今日も、アパートに帰ってくるなりえずくような声を聞いて洗面所で、顔を下に向ける彼を見つけた。
背中をさすりながら、ただいまと言う。
彼はおかえりとは言わなかった。そっと体に触れると、伝わるのは、酷い拒絶、恐怖心、不信感。
「なぁ、色」
彼は答えない。
「なぁ、あれって」
あの事件はまさか――――
「っ、言うな」
そいつは苦しそうに言って、こちらを睨んだ。
「ほれ、お茶だ」
湯飲みに入ったそれを手渡すと、ダイニングに着いた彼が、潤んだ目をしながら受け取り口を付けた。
「おまえはお茶が好きだったよな。煎茶……美味しいか?」
こく、と頷いたそいつは、やがて、だっと走り出して、俺のラジコンカーへと向かう。何かあると物を解体するのは、そろそろやめていただきたい。
「こーら」
背中を掴み、抱き締める。彼はぴたりと動きを止めた。
「……」
震えている。
「そっちは、だーめ」
「……や」
「俺がいるのに、機械を壊す方が楽しいわけ?」
ぶんぶんと首を横に振る。少し安心した。
正面から抱き締めて、もう吐き気はないかなど聞いてみる。
「ない……」
「そうですか、っと」
無理矢理抱えると、近くのソファーに座らせる。
「かいせ……」
お茶を飲みながら不安そうにするそいつが愛しい。
「お前には怖いもんが沢山あるのだろうから、無理に笑えとかは言わんが、もう少し、俺に預けてくれないか」
「……」
ぶんぶんと、首を横に振られる。
「お前に話すような、話ではない」
「はぁ、そーいうとこ、頑固だよな」
「……」
なにも言わずに抱きついてきた。甘えているようだ。
「きらい?」
「嫌いなら、とっくに追い出すけどさ」
「……」
回りくどいのが気に入らないのか、じとっと見つめられる。
「っ、好きだ」
「好き!」
審査に合格したらしい、ぎゅうう、と抱きつかれて、動悸が早くなる。
「すき、すき、好き……!」
「お、おう……」
「えへ、へへへ……すき!」
「ああ」
頬擦りされて、なんの攻撃なんだと頭を抱えたくなる。
「……あ、あの」
「このままになってて」
頼まれてしまったので、そいつにくっつかれたまま固まる。俺を枕にして眠るつもりみたいだ。
「はぁー、あ」
「なに、眠れなかったの?」
「昨日も徹夜」
なるほど。休む程の暇が無かったらしい。
「ぶっちゃけ、上のジジババがぎゃーぎゃー言わなきゃ、もうちょい効率いいと思うんだよな」
「まあまあ、先輩なんだから」
「せんちゃっていえば、暇なるが騒いでたね」
「あー。あれも被害者仕草作りだろ。いつもの事だ」
「アハハ。信じられないよな、人体実験の被験者の話とかを裁判で公開処刑したり、面白くミームにする上で正義を語るってのは、いくら疑いをかけられたくないからって」
「俺らは上の連中や反日グループにとっちゃ、人間扱いじゃないからなぁ」
「りゅうじさんも、笑顔で対応してるが、なんであんな冷静なんだか」
「いろいろ諦めてるんだろ、そういう人だから」
「そうかー」
俺の上でじたばたしていたそいつは、太もも辺りに顔を寄せたまま、目を閉じる。
「あの古い契約書渡したのは大体あのジジイのミスだ」
「あるある」
「クライアントは、それをまだ信じていたんだ。それでもめた。ジジイは渡してないとか言いやがるし、あああもう!」
「あー、俺もそれ、やられたことあるわ」
「あれ面倒だよね。ほんと、ただでさえ寝不足でイラついてたとこで――」
唇を奪うと、静かになった。恥ずかしそうに、抱き締められているそいつが可愛いので、しばらくそのまま味わわせてもらっていると、疲れてきたのか、やがて顎をぐいっと押し返された。
「……や、めろ」
「嫌だった?」
「お前の声が聞きたい」
目に涙をためながら、必死に息をして言われる。
「それ、俺からさわると、声を聞く余裕が無くなるってこと?」
返事はない。
今度はぐい、と引き寄せられて、さっきと逆の立場でそれが続く。
そういう気分らしい。
そして俺も少し、そんな気になってきた。
最近は忙しくてあまりかまってやれなかったから。少ししてそいつは離れた。
「好き?」
「そうだよ」
「いろんな人が、好きって言うけど、そんなのは思ってなくても言えるから、俺は信用しない」
「じゃ、なに、今のは」
「俺が好きだから、嬉しいだけだよ。信じているわけじゃない」
「……っ」
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きろくする