こちらの続き。
「なんだ。」
名前を呼んだくせ、返事をしてもなんの反応も見せない男を訝しく思って、二宮は顔を上げた。
声をかけられて顔を上げないのはいつものことで、苗字がそれを気にするような人間でないこともよく知っている。
機嫌が悪いわけもない。今の苗字は二宮に構いたくて仕方がないだけである。
重たい身体を持ち上げようとして、武骨な指が視界の端に映り込んだのに気づく。それがするりと顎を撫でるので、思わず二宮は顔をひいた。
けれど、二宮の行動は少し遅かった。
「ぅ、」
顎の裏にまわった人差し指が少々強引に力を入れて、二宮の視線を持ち上げる。次いで、彼の顔を固定するように親指が下唇の辺りを押さえた。
ようやっと二宮は苗字の眼を見た。特に何も考えてなさそうな、いつも通りの黒い眼だった。
訳のわからない行動に文句を言ってやろうと二宮が口を開きかけたとき、するりとその中に親指が入り込む。舌を軽く押さえ込まれて、喋るに喋れない。
こいつは、何がしたいんだ。
「…ぁうあ。」
「あ、ごめん。」
すんなりと引き抜かれた指の感覚が舌の上に残り、不愉快で口を押さえる。別に吐きたくなるほど嫌だというわけではなかったが、妙に腹がたったので睨んだ。
「ご、めん。」
苗字はてらてらと濡れる親指をじっと見つめながら一度謝った。それから訝しげな眼をする二宮と眼を合わせると、突然はっとしたように見開いたその黒目を潤ませて、首まで赤くなる。
「ぁっ、ほんと、ごめ…!」
ちが、そんなつもりなくて。だのなんだの泣きそうなほど赤い顔をして、わたわたと落ち着かない様子で弁解する苗字は情けないことこの上ない。
昨夜二宮を意地の悪い笑みを浮かべて組み敷いていた男がこれだなんて、いったい誰が思うだろう。
どうしてお前がそんなに恥ずかしがるんだ。
二宮は眉間に深くしわを刻み込む。怒りとかそういうのではない。心の底から解せないと思った。
20160403