お祝い企画 | ナノ

味わって食べてね、とやけに優しい声が有無を言わせない響きを生んだので名前はうん?と首を傾げた。
夕飯の席に着いた途端のこれ。彼女は立ったまま座ろうとしないし、夕飯も名前の分しか用意されていないので、名前は彼女が先に夕飯を食べたのだろうと考えた。

いただきますと手を合わせて、こんがりと揚がったとんかつに手をつける。その間も彼女は立っていた。
気を回そうとしたわけでもなく、本心でうまいと溢す名前はそこそこできた男である。

けれどその言葉を受け取るはずの彼女は黙ったまま。名前はそれに疑問を抱くことはない。

突然、かちゃんと目の前に置かれたのは自分が彼女に渡したはずの家の合鍵である。
その時やっと名前は彼女の顔を見た。再び、うん?と首の傾きを深くする。びきりと首筋が嫌な音を立てる。

「最近、台所が綺麗よね。」
「掃除してるし。」
「前はしなかったのに?冷蔵庫の中も、物が増えてる。」
「俺だって買い物くらいするぞ。」
「前は牛乳と冷凍食品しかなかったくせに。」

嫌な音を立てたのは首筋だけではないらしい。彼女の額には青筋こそ浮き出てはいないが表情は険しい。先ほどの声は一体なんだったのか。誰だったか。
責め立てるような言葉に名前は不謹慎にもめんどくさいと思った。相手は恋人である。

夕飯を作りに来てくれるほど、献身的な恋人である。
しかもレパートリーも広くうまいときた。だから名前は箸を進めることを止められない。

「ねえ、」
「ん?」
「なんでベッド変えたの?」
「そりゃ狭かったから、」
「…あっそ。」

もういいやと投げやりになった彼女は、鞄とコートを引っ掴むとリビングから出て行った。
合鍵を置いたまま、ということはそういうことなのかもしれない。

「…まじか。」


台所が綺麗なのも冷蔵庫の中身が増えたのも、名前が料理をするようになったからだ。
なぜ名前が料理をするようになったのか、それはベッドを変えた理由と同じ。

最近やっとこさなついてきた弟という存在である。
いや、弟というのは少し語弊があった。
同じ師をもつ弟弟子といったほうが正しい。

彼らの師はなかなかに忙しい立場の人間で、もとより師事していた名前も実際に稽古をつけてもらうことは非常に少なく、弟子が増えたところでその回数は増えるわけもなかった。むしろ減ったかもしれない。
しかもこの弟弟子は名前をあまり良くは思っていなかったらしい。実際、師匠の代わりに稽古をつける名前に負けては悔しそうに唇を噛むばかりで、まともな会話も成立させたことはない。

そんな、弟弟子が。

「名前、今日のご飯はー。」
「あー、」

自分から擦り寄ってくるようになった。
しかし名前はそんな弟弟子を可愛いと思うこともなく、夕飯作るの面倒だなあと十秒ならぬ五秒チャージの勢いでゼリーをすすった。
カレーでいっかなあ。

「えええ前もカレーだったじゃん!」

名前が口を開くより先に迅は顔をしかめた。
これももう慣れたことで、それを気味が悪い、なんて彼が迅に思うことはない。

「うるっせえな!嫌なら帰れ!」
「ほんとにおれが帰ったら名前インスタントでしょ!アレ身体に悪いんだよ!」
「あーお前ほんとメンドクセー!」

ただでさえ誰にも話さず三ヶ月も隠してきた料理上手で理想的な彼女に愛想を尽かされて気落ちしているというのに、どうして自分はこんなクソガキの面倒を見させられているのだろうとぼんやりと考え始めた。

「めんどくさがってんのは名前!…全くもー。」
「こっちがもーだって…は?」
「…なに。」
「いや、え?こっちがなに、なんだけど。」

腕を捲り、キッチンに立った弟に名前は信じられないというように瞬きを数回した。
弟は弟で、心外だというように声を低くする。

「おれが作るってことだけど。」
「、お前料理できたっけ。」
「簡単なのなら作れるよ。」
「…へえ。」

なんで、とは思わなかったし、すげえ、とも褒められなかった。名前はそういう、人のデリケートなところに触れるのが苦手である。
どこまでがそうなのか、どこまでが許されるか、そういう気を回すのが得意ではないからだ。
良くも悪くも、彼は素直な心と口を持っている。

「カレーがいいならカレーにするけど。」
「…いや、いい。」
「じゃあ何にする?」

冷蔵庫を勝手に漁るその後ろ姿は先日合鍵を置いて帰った彼女よりも華奢ではないが、なんだか居心地がいい。そう、しっくりくる。

「揚げ物は得意じゃないから、勘弁してね。」

がさごそとにんじんやらピーマンやらを出してきた迅はもう名前のリクエストなんて聞くつもりはないのだろう。きっと今夜は野菜炒めだ。
それでも迅が、あえてああ言ってきたのは。

「…俺おまえのそういうとこホントずるいと思うわ。」
「ふーん。好きになる?」
「そりゃねえな。」
「そっか。」

こいつが女の子だったらなあ、なんて馬鹿げたことを考えるほど名前はけっこう落ち込んでいた。
名前は迅を面倒くさい弟だと思っているけれど、嫌いなわけではない。

実はむしろ可愛く思っている、かもしれないのだ。



20160131
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