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しゃべらないやつだ。
中学二年の夏、初めて出来た多数の後輩のうちの一人を、及川はそう思って軽視していた。

どうせ黙っとけばかっこいいとか思ってんだろ。
及川はその後輩を好ましく思ってはいなかったが、それなりに才ある人間だけに認めてはいた。
そう、ある種の焦りと妬みを、その後輩へと向けていたのである。

一年坊主のくせして、身長は平均的な三年を見下ろすくらいのでかさだった。
小学時代はドッヂボールチームに入っていたらしく、ボールの扱いは格段に他の一年より秀でていた。そして自ら進んで、何事にもいち早く動き出す、はたから見れば忠実な犬のようなそれは、やはり他の一年よりも眼を見張るものがあった。
すぐに、秋の大会にはベンチ入りだった。

そんな後輩は、苗字名前といった。

顔立ちは取り立てて端正だとか愛らしいだとかはなく十人並み、むしろいつも無表情で無愛想だったので、女子の人気が高いとかそういうことはなかった。
しかし聞いた話では、気を許した相手には普通に会話をするらしく、部活内でも見受けられる気配りも外で発揮されているのだろう、及川が見る苗字の周りには、いつだって人がいた。

この頃からすでに、及川は少しだけ苗字を意識してしたのである。

しゃべらない、無愛想、のくせして気配りは出来るわプレーに文句はないわで、及川はやはり焦っていた。
ちょっとしたミスをせっついてやっても、その時ばかりは別人みたく勢いのある返事を返し、次見たときにはもうきちんと言われた通りに修正されているのだから、文句のつけようがない。
その時は及川はむずむずと唇を噛みしめるだけで、ざまあみろとでもいうような顔をした岩泉にタイキックを受けるのである。

しかし、苗字のポジションは安定していなかった。リベロやスパイカー、ブロッカーというように試合によってポジションを変えられ、特定のポジションにつくことがなかった。
ただセッターだけ、苗字は任されたことがなかった。それを及川は不思議に思いつつ、不安がっていたのである。

苛立ちと焦燥の中、及川は三年の春を迎える。
そこで追い討ちをかけるように、天才が現れた。

天才のまごうことなきその恵まれた才をまざまざと見せられて、及川の心臓は潰されそうだった。
その頃、一つ下のいけすかない無愛想な脅威はなにも思っちゃいないようにその天才の教育を任されていた。苗字はただ淡々と、一年積み重ねた自身に言えることを言って、天才はそれをしっかりと聞いた。

これほど恐ろしかったことはないねと、今の及川は笑っていう。
しかし、あの時は笑えたもんじゃなかったよと、今の及川は眼を伏せるのだった。

そんな及川が、初めてまともに苗字と話したのは三年の夏。
及川がふっきれたと風の噂で聞いていた苗字は、自らスパイク練習に付き合うと申し出た及川には無感情を装って、安堵していた。


苗字名前は、愚直かつ不器用な男であった。

二年にしてその努力の才を開かせた及川を誰より尊敬し、同じコートでそのトスを貰いたいと志願していたのは苗字だというのは、二年の後輩のうちでは有名な話だった。
ここに入ってよかったと、一度だけそう漏らした苗字はその一言の前に良い先輩として及川のことを挙げていたのである。

他のどの二年三年より苗字に指導を、そしてミスを指摘したのは及川だった。

監督が緩むことない速さで出したボールに食らいついて、やっとの事で交代させてもらった苗字は肩どころか全身で息を荒げ、フラフラとした足取りでコートを出た。

同級生が労わるようにドリンクを持ってきたけれど、苗字はそれを飲む気になれなくて、先ほど監督にめっぽう叱られたところを思い返しつつ、あれは無理だろと内心毒づいていた。
するとそこに影が落ちる。見上げた先には、無表情の及川が苗字を見つめている。

「苗字今の滑れば取れたデショ。」

なに言ってんだこいつ、苗字は心底そう思った。
アンタは取れんのかよと言いたくなるも億劫で、そんなことを言う暇があれば酸素を取り込む、呼吸がしたい。

「お前なんのためにサポーターしてんの。」
「いっつもしてるフライングは?ああ、ペナルティあんま受けないからできてないんだっけ。」

それがどうしたなにが言いたい、ペナルティ受けないのは的確な動きをしているからだ。苗字は言われたことを正しく行う。それが一番なのだと信じて疑わなかった。その時までは。

「意味わかる?周りがやってる練習を出来てないんだよ、お前。」

息が止まった。その瞬間まで、ペナルティというそれを軽んじていた自分が、消える。

「ペナルティは意味のない練習なんかじゃない。足りないところを補うためにするんだ。お前は確かに上手いけど、さっきみたいな、いざという時に身体が動かないんじゃあ、お前、ずっとベンチのままだよ。」

自分は足りていないのである。
全くもって、他が他より足りていないのだと、及川に暗にそう言われたあの日から、苗字は及川を尊敬している。
度々指摘されるミスを真摯に聞いて、それを言われたことを反芻するように練習に徹した。


「あのさあ、」

ボールをしゅるしゅると手の内で回しながら、及川は苗字を見て言った。

「お前、最近俺のところ来なくなったね。」
「…はい。」
「うん、そんでさあ、影山の教育係だっけ。」
「はい。」

なんの繋がりがあるんだろうと内心小首を傾げる苗字に及川はにっこり笑う。

「サーブくらい教えろよボゲェ。」
「、すんません。」
「…本当お前面白くないね!なんでかな!」

そこは岩ちゃんのマネですかくらいいえよ!と騒ぐ及川に、従順で愚直な苗字は「い、岩泉先輩のマネデスカ、」と言って、今更もういいし!と叱られた。
通常であれば面倒臭すぎて怒っても、いやむしろ帰ってもいいレベルだが、苗字はそれをしない、いやその選択肢がないのである。

「…影山がさ、俺にサーブ教えてくれって、来るんだよ。」
「俺が、及川さんのサーブが一番参考になるっておしえました。」
「お前かよ!」
「、すんません…。」
「いいよもう!…なんでかなあ。」

お前、前までいけすかなかったのに、とは及川は口にしない。ただじぃっと、目の前の男を見つめる。

及川は、この男が愚直だと、自分に従順だとよくわかっていた。

「…自分じゃ、どうもできねぇなって。」
「、ああそう。」

及川はその続きを聞く気はないようだった。苗字も話す気は無かった。沈黙が落ちる。
実を言うと、苗字は及川が好きだった。
それは恋だ。性的なそれだ。きっかけも理由も、なにもわからないが、確かな恋慕である。
それは純粋に、及川が好きという苗字だった。

苗字にしては珍しく、そわそわと唇をまごつかせ始める。すると今度は心を決めたように、及川をまっすぐに見つめた。

「吹っ切れたって、」
「…そうだよ、別にもう。オールオッケーなの!…あと、お前を怒ってはないから、」
「はあ、」

何も思っていないような返事を返しながら、苗字この上なく嬉しかった。
もしもこの男が犬であったなら、それはもう大きく尻尾を振って、耳を立たせていたことだろう。

「ただ任された仕事はちゃんとやれってこと!それがいいたかったの!」

大嘘である。及川が言いたいのはそんなことではない。腹立つことに自分を見下ろしてくるこの後輩には、伝えたいことがまだあった。

もう少し先の大会。その後のことだ。
次期部長は、及川を筆頭とする三年の中で苗字が推薦されていた。

頑張れ。みんなを支えろ。期待してる。
どれもこれも違う気がして、及川は何も言えなかった。及川はもう一つのそれを考えなかった。
考えたら終わる。今ここで二人、コートに立つための関係が終わる気がした。

だから及川は、さて話は終わったとばかりにボールを弄る。しかし、それを苗字が許さなかった。

「及川先輩。」
「なんだよ。スパイクするんだろ、早くしろ。」
「ありがとうございます、あの、」

続きがあるような言葉に及川は、なに、と訝しげにして見せるしかない。
ずんずんと歩み寄ってきた従順な後輩は、口をまごつかせて、それから腹をくくったかのように真面目な視線を及川に向けた。

苗字はもう、抑えを必要しないと思った。

「あ、」

べっとりと額に汗で張り付いた、及川の前髪を書き上げて、真っ白なそこに一度だけ唇をつけた。
香ったのは及川のもので、汗のべたついた感触もあったけど、苗字は気にならなかった。
むしろ愛おしかった。

ほど近くある見開かれた大きな瞳に笑って見せて、苗字は一度だけ謝った。そして、

「でも俺、こんなことするくらいには、及川徹が好きなんすよ。」

まるで他人事のようなそれに、及川は考えようとしなかったそれがぶわりと溢れて、せき止められなくなるのがわかった。

「…もっかいしろ。」
「、返事もくれない…。」
「したらあげる。ちゃんとね。」

愚直だとよくわかっていた。しかし、ここまでくるとこいつのコレは、確信的なものではないかと及川が思案し始めるのは、まだ先のようである。



20150829
20150922


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