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運が良いのか悪いのか、男は名前が降りる駅で、名前自身の手によって駅員に渡された。

「俺の鞄スろうとしたんですよ。」

男はそれに何も言わなかった。
ただ頷いて、駅員に連れられていった。
名前はというと、襲われていた自分と同じ学校の生徒が死にそうな顔をしていたので、その彼を気遣い、その場を駅員に任せて離れたのだった。

何の因果か、その生徒は自分と同じ駅で降りるらしかった。

気遣う言葉を、名前は相手に使わなかった。
相手が女子であったら、大丈夫かの一言くらいは言ったかもしれないが、その相手が男だったので、名前はあえて、何も言わなかった。

よろよろと降りていく相手をわざわざ引き止めて、男を駅員に引き渡す時まで連れたのは、他でもない名前だった。
引き渡して、早々にその場を去ったのも名前だ。

訳のわからない行動だったかもしれないが、名前には、これが相手にとっていいことになると考えたのである。

自分より高いと思われた身長は、丸められた背骨のせいか同じくらいで、弱々しくも見えた。

名前は少しばかり、お人好しだった。
喋ることが得意なわけでも、人と接するのが好きなわけでもなかったが、世間一般でいえば、お人好しの部類に入る人間だった。

危なげなく階段を降りる彼を、名前は少し不安に思った。だから、反応できたのである。

階段を踏み違えた足とともに傾く身体を、いとも容易く、名前は支えた。

「っぉ、あ…わり、」
「大丈夫ですか。」

そこで初めて、名前は彼を気遣う言葉を使った。


とりあえず、どこかに座りましょう。
有無を言わせない名前の声音と表情に、彼は戸惑いつつもそれに頷いた。
不思議な雰囲気の中、名前は自己紹介を始めた。
彼は黒尾といい、自分よりも先輩であることを知った。黒尾の眼は少し落ち着きがなかった。

「アー、その、助かった。」

アリガトネ、と茶化した風に言って見せる姿に、名前の心臓には寒々とした空気が流れ込むようだった。

「…いえ。」

その、いえ、にどういたしましての意味は含まれてはいない。
それに気付いているのかいないのか、黒尾はなんとも言えなさそうに口をまごつかせる。

「…送ります。」
「は?」
「送ります。」

その言葉を理解して、いや俺女じゃねえし、という言葉を、黒尾は呑み込んだ。
見据えてくるその眼が、喉の奥の方に押しやったはずの怯えを引きずり出そうとする。

ぼたり、と片目から落ちてしまったそれを覆い隠す黒尾を、名前はじっと見ていた。
黒尾は黒尾で、耐え切ったはずのそれが決壊して溢れるのに驚き、同時に押し潰れそうなほどの不安を抱いて、震えた。

黒尾はどうしてか、なにも言わずにそこにある名前を心地よいものだと思い、泣いた。


「待っててください。」

名前は黒尾の涙がおさまりつつあると分かると、そう言ってそこを離れた。

けれどすぐに戻ってきた彼は、買ってきたペットボトルを黒尾に差し出して。

「送ります。しばらくは。」

と、なんでもないように宣言した。

ぎゅうと、心臓が優しく握りつぶされそうな感覚に、黒尾は熱を持つまぶたと頬をペットボトルで押さえて、小さく承諾の声を返すしかなかった。


そうして彼らは、家が三軒隣のご近所さんであるとか、委員会が同じであるとか、そういったお互いの共通点を、帰路についてから知るのである。



20150720
20150922


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