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ホームに響くアナウンスに、耳を傾ける。
どうやら彼が乗るべき電車が入ってくるらしい。
少し顔を上げた、と思えばすぐに俯く。
彼の意識を引き寄せたのは、案の定ともいえる、スマートフォン。現代の若者たちが愛してやまない、必須ツールであった。

今いいトコなんだよな、と彼は止めることなく、ディスプレイ上に想像した通りのルートにするすると指を滑らせる。
軽やかな音とともに消えた玉。そのスペースにまた別の玉が落ちる。そこに浮かぶ、10コンボの文字に彼は満足げにした。

目の前をゆるゆるとしたスピードで通過していた電車がやっとのことで止まる。
彼はちらりとホーム、それから窓から見える車内の様子を見やって、軽い足取りで点字タイルを踏み越えた。
自身と同じ制服の生徒には、彼の興味は一切わかなかったようだ。

踏み入れた車内は、思っていた通り人が少ない。
乗り込む人も少なくて、今現時点、自分がいる車両には10人も人がいなかった。

嬉々として、彼は車両の一番端、隣の車両と繋がる通路の目の前の席に腰を下ろした。
スマホのディスプレイを再び見つめる。
今の彼は、ただどこにでもある高校生だった。


一つ二つ駅を越えると、もとより人のいなかった車両内も閑散としてくる。
自宅からの最寄り駅がまだまだ遠い名前はというと、すっかりスマートフォンの虜になっている、わけでもなく。
イヤホンをつけたまま、静かに眼を閉じていた。
ちなみに眠っているわけでも、音楽に聞き入っているわけでもない。

先程から、嫌な予感がするのである。

名前が座っているのは、車両の端の席である。
その、真反対の位置で、黒いジャージのような格好で、眼深く帽子をかぶった小太りした男が、ごそりごそりと何かしら動いているのだ。

どうして名前がそんなにも男の特徴を掴んでいるのかといえば、乗車した時、すぐにその男が眼に付いたためである。その瞬間酷く嫌な予感しかせず、だから名前は、その男からいっとう離れたその席を選んで、腰を下ろした。
名前は自身の勘に忠実である。
しかし、名前の後悔すべき所はそこからだった。

今となっては、それも先立たない。

眼を開けようか、いや開けまいか。
名前はそれはもう悩みに悩んだ。

この車両に他に誰かいるのであれば、他にもあの男のどこからか漂ういやらしさに気づく人がいるかもしれない。そうすれば自分もそれについて、この車両をでてしまおうと。
だがここで言っておくと、名前は現時点で車両内にいる人間の数を、わかっていない。

けれどそれも杞憂かもしれないし、と考えるうちにこつり、と足音がした。

その時名前の決断は早かった。結論はこうだ。
近づいてくるようなら、隣の車両に行こう。

隣の車両への通路は目前である。
そのことに関して名前は安堵していたし、余裕があった。

だがしかし、知らない男の戸惑った声を聞くとは、思いもしなかった。
びしりと、今まで考えていたことが全てがひび割れて粉々になって、分からなくなった。

「なんっ、だよ…!」

さわるな、のその声が、曝け出されて、むきだしになって、震えている。

今なにが起こっているのか、視覚を一切閉じきった名前には理解出来ない。
いや、理解が追いつかないのだ。
イヤホンをはめたせいで、聴覚からの情報も取得し難いものだった。

けれど名前はどこか冷静だった。
混乱と困惑にてんやわんやの心境の中で、一つ一つ事実に程近いであろう可能性を暴いていた。

そうしてすぐに行き着いたそれに名前は、むせそうなほどの嫌悪と軽蔑と、そして深い哀憐を覚えた。

名前はゆっくり眼を開けて、ついっと黒目をその方へ向ける。

土気色の顔で、唇を噛み締め、眉をぐっと寄せている彼は、自分と同じ制服だった。
どうにか足掻こうとする幼気な彼を隠し、閉じ込めるようにする小太りした男の姿。

名前は立ち上がって、静かに一歩を踏みしめる。

名前と同じ制服の彼は、薄く水の膜が張った瞳を呆然と見開いて、無表情の名前を見た。
男は未だ、背後に忍び寄る終わりの底に気づいていない。

「何やってんだあんた。」

黒々と、夜景の映る窓よりもっと冷える色をしたその言葉が、薄っぺらな黒に沈み込んでいった。





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