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※社会人主×大学生夜久

しんじらんねぇ。

午前中の講義が終わるから、午後からはだらだら過ごそうかなとか思ってたのに。
バス停で俺が携帯見なかったら、どうなってたことやら。

ほんとしんじらんねぇ。

駅を出てすぐに見える、とある高層マンションを睨んだ。

今日、うちで待ってるよ。

優しい言葉の羅列は、裏を返せば絶対的な俺への命令なのである。


「早かったねぇ。」

お疲れ様、とにこやかに俺を出迎えたその人は、腰にバスタオル巻いただけのターザンスタイルだった。
つやめく黒い髪の毛の先からは、ぽたぽたと雫が落ちて、フローリングに水溜まりを作る。

「、ちゃんと髪の毛拭いてから出てきてくださいよ…。」
「外で待たせるわけにはいかないだろ。」

俺が呼んだんだから、とそのままうろうろと歩き回るその人はきっと狙ってそういう事をしてる。

「…もう座っててください。」
「えぇ?悪いなぁ。」

にこにこと悪びれもなくソファに腰を下ろすその人にクッションとリモコンを投げつけて、俺はリビングルームを後にした。

苗字さんの寝室に入ってクローゼットを開ける自分が、それはそれは手慣れていることに気付きながらも知らないふりをするのはいつものことだ。
ホームセンターにあるようなプラスチックボックスの中から、よれた灰色のスウェットの上下を取り出す。

そこでふぅと、ため息がこぼれた。

いつもかっちりとスーツを着込み、髪の毛を後ろへ撫でるようにセットした、まるで出来る男はここにはいない。
いるのは、着替えもろくに用意できず年下に甘えっきりの、出来る男とは程遠い男である。
俺の手の中にある服を半裸の状態で待つ、ダメ男なのである。

それでも俺がその人が嫌いになれないのは、あの人が本当にかっこいいから。
中も外も、どっちも。

かっこいい、から。

「…ちくしょう。」

惚れた弱みだ。あの人に逆らえはしないし、逆らおうとも思わない。
ただ少し不服に思うところがある。かわいい恋人の小さいわがままだ、大目に見てくれ。

俺の前で、もう少しかっこつけてほしい。

甘えられるのは嬉しい。けれど俺だって外ではたくさんのやつらの面倒を見ているわけだし、そういう立場にあるのは苗字さんだって、ちゃんと知っているはずなのだ。
そこは恋人としてどっしり構えて、俺を労ってくれてもいいじゃないか。

悶々と募るばかりの不満が、スウェットを掴む指先にこもる。

ふと、言いようのない孤独感に襲われて、俺はスウェットを抱きしめた。
のが悪かった。

無骨な手が視界の端に置かれた。反応が遅れる。

「やーくーくん。」

笑っているようなその低音が鼓膜を揺すり、どくりと心臓が騒ぎ出す。

「なに、そんなかわいいことしてるのかな。」

優しい言葉はゆったりと語られ、俺を上から覗き込む双眸は全然、やさしいなんてもんじゃない。

「…なに言ってん、すか。」

身体は動いた。当たり前だ、苗字さんの眼に身体を束縛するような力はない。
腕の中にあったスウェットを惜しげもなくさらされた胸に押し当てて、はやくきてくださいと口早に告げる。

その腕を撫でるように添えられた苗字さんの手に思わず身体が硬直した。

「なにしてたの?」

腕を伝って伸びてくる手のひらが、肩を撫でてから腰へとおりる。

「俺の服抱きしめて、さ。」

ぐっと力を込められてしまえば終わり。
俺の身体と苗字さんの距離は無くなってしまう。

「ちょ、苗字さん!」
「あー、夜久くんの匂いだ。」
「へんたい、かっ!」

すんすんと鼻を鳴らして俺の首やら耳の裏やらを嗅ぐこの人は、まるで人間でない獣のようだ。

くわれる、本能的にそう感じた俺は、苗字さんの肩やら胸やらをどうにか自分から離そうと試みた。
しかし腰と頭を押さえつけられれば、何も出来ない。
仕方ないと腹をくくり、このまま起こりうるであろうあーるじゅうはちなキャッキャウフフに身を投じようとした。

けれど自分を抱きしめ、あやしくもなんともない、ただ慰めるように、愛でるように撫でる手つきは一向に終わる気配がない。

「俺、さみしかったなあ。」

ぽつりと掠れた声で呟かれたそれに、多少の罪悪感が芽生える。

けれど首を振ってそれを消す。俺だって大学での講義があって、サークル活動があって、友人と遊ぶ約束がある。
何時だって、苗字さんにつきっきりじゃいられない。当たり前のことだ。俺は主夫じゃない。

それに苗字さんはいつも仕事で遅くって、待ってても全然帰ってこないし、帰ってきても疲れてるみたいで、俺は話しかけづらいし。

「待ってたのに、来てくれなくって。」

ぽそぽそと耳元でつぶやかれるそれらに、俺は唇を噛み締めた。

まってた、なんて。そんなの俺だってそうだ。
ていうか、苗字さんよりずっとそう。

いつもいつも、ずっと待ってた。
辛抱強く、耐えてた。
釣った魚に餌をやらない男って、絶対苗字さんのことを言うんだって、何度も思った。

でも何も言えなかった。
苗字さんは、つかれてる。それが俺の口に蓋をして、何も吐き出せなかった。

「最近声も聞いてない、顔も見てない。それがすごく物足りなくて、苦しかったよ。」

俺も苦しかった。さびしかった。かなしかった。

「でも、」

何故か視界がじわりと歪み、熱を帯びた。

苗字さんの声は優しい。言葉も優しい。

「やっとね、わかった気がしたんだ。」

続いた言葉に心臓が早鐘を打つ。
その時俺は、自分が苗字さんからのごめんの言葉をどれだけ心待ちにしていたのか目の当たりにした。

もう一つの言葉が囁かれた時、俺は思わずと苗字さんに抱き着いた。

「あいしてる。」

彼の眼に、身体を束縛する力はないけれど、彼の声には心身ともに懐柔する力がある、気がする。



20150328


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