「苗字。」
「なんだよ。」
へんなにおいがする、と顔をしかめてやれば、眉をひそめた苗字はやってねぇけど、と答える。
ちがうよ、そうじゃなくて。
喉元まで出てきたその言葉を飲み込んで、代わりにへらりと笑ってみせる。
「じゃあ、気のせいかも。」
どうして認めるの。なんで隠してくれないの。
なんの悪びれもなく、むしろ出来なくて残念がるみたいに、するの。
心の中の言葉を苗字が汲み取ってくれるはずもなく、ただただ無意味なやり取りがされるだけ。
苗字は何もわかってくれない。やさしくない。
さっきまでここには俺ではなく女の子がいた。
因みにまごう事なき浮気だ。しかし過去形だ。
俺が来たから帰ってくれたらしい。ざまあみろ。
「そ?なんか飲む?」
「炭酸じゃないやつ。」
「麦茶しかねーわ。」
「それでいいや。」
さっさと部屋を出て行く苗字を見ると、言いようのない息苦しさに襲われた。
やだなぁ、苦しいなぁ。
苗字は簡単に何でも捨てちゃうから。
面倒臭いもの、きらいだから。
縛られるのも、きらいだから。
いちゃいちゃしてるくらいが丁度よくって、それ以上はあんまり、苗字はしてくれない。
苗字は俺が女の子といちゃいちゃしてても何も思ってないみたいで。
俺はその逆で、かなしくってさびしくって、でもなんにも言えなくって。
聞き分けがいいように、へらへら笑って頷いて、苗字はそれで満足してくれる。
でもね、俺は全然いっぱいじゃないんだよ。
満足なんてできないんだよ。
苗字じゃない誰かとなんて、ものすごく虚しくて辛いことなんだって。
もっともっと一緒にいたいし、苗字から求めてもらいたい。
欲求不満、でもそれは俺の一方通行だ。
苗字は俺のこと、好きって言ったことない。
キスしてくれる、抱きしめてくれる、でも言葉で表してくれたことはない。
「すきなんだけどなぁ。」
誰もいない部屋に呟いたって、返事なんて返ってこない。
階段を登る足音がする。
そこらへんにあった雑誌を持ち上げて、苗字のベットへ飛び乗った。衝動的なものだ。
ちょうど、苗字が部屋に入ってきた。
「何やってんだおまえ。」
「べぇっつにぃ?麦茶は?」
「あるよ、てかダイブすんのやめろ、壊れる。」
「いいじゃんいいじゃん。」
俺以外と寝るとこなんて、必要ないでしょ。
倒れ込んだ途端、全く知らない甘い香りがした。
苗字じゃない。なんの香りだろうね。
「…やっぱくっさ。」
「あん?」
「苗字、加齢臭だよ。やばいよ。」
「は?!ちょ、マジで?」
ふんふんと枕を嗅いでやる。これは苗字。
でもシーツの香りは、苗字じゃないもん。
「自分じゃ気付かないっていうもんね…。」
「…洗ってくる。」
「あはは。」
いってらっしゃーい、なんてシーツと枕を抱えていく苗字の後ろ姿を見送る。こうやって。
アホな苗字を操って、嫌いなものを遠ざけていくように仕向けるしか、俺にはできないんだから。
20150221
20150304