ぬるい空気づてに漂ってくる匂いは、これから観る映画の雰囲気と全然あってない気がする。
コメディとかラブストーリーとか、そっちほうが絶対あうよなあ。まあ趣味じゃねえか。
けどあったかいミルクティーってすげー心が落ち着くし、ほっとするし、最近寝不足気味のおまえにちょうどいいと思うんだよ。あわよくば寝てくれ。
「あーらふねぇー。」
浮ついた声になってて、ちょっとにやけちゃってんのかもなあと他人事のように思う。
「んだよ。」
「今日のなぁ、特別いいヤツなんだ。」
「…へーえ。」
マグカップ二つ。両手に持ってテレビの前にスタンバってる荒船の方に向かう。
「姉ちゃんから土産でな。あ、インド行ってたんだけど、ダージリン。」
「…ミルクかよ。」
「疲れたときは甘いもん、だろ。」
よっこいしょなんて年寄りくさいかけ声をだして、その横に座り込む。
ストレートの気分だったなら悪かったけど、ひとくち飲んでちょっと目をぱちぱちしてるのを見たらそうでもなかったらしい。と勝手に推測。
「うまい。」
「そりゃ茶葉がいいからなあ。」
「いつもうまいけどな。」
「ん、茶請けはでないぞー。」
「いらねえよ。」
ふわふわ湯気が立つカップをぼーっと見つめる荒船の眼の下は暗い色をしてる。
なんで眠れてねえの。何か悩みでもあるの。
いろいろ考えてみても、俺は荒船が分からない。
俺は荒船じゃねえから当たり前なんだけど、でも一応こうやって一緒に家で映画を観るくらいには仲が良いんじゃねえかなって自分では思ってるわけで、調子が悪そうなら心配するし、気になってしまう。
俺が知らない荒船がいること。それはちゃんと分かってるつもりだ。なんせおまえはボーダーだしな。
秘密が多い男ってサイコーにクールだぜ、なんて茶化したのはいつだったかもう忘れたけど、最近そうは思わないんだよ。
「つけねえの。」
くいっと顎でリモコンをさした荒船は早く映画を観たくて仕方ないのかもしれない。
「飲み終わってからにしよ。始まったら飲めん。」
「あー…だな。」
時間はまだあるし、俺はゆっくり飲んで、だらだら喋るのもいいと思うんだけど。
てかゆっくり飲んで。ちょっと喋ろ。あと味わって。
「、熱いなこれ。」
「火傷すんなよ。」
「…ん。」
淹れたてだしね、熱いに決まってるよね。
なんでかそういうとこちょっと抜けてるよな。
静まり返った部屋の空気はぬるい。ほんのり甘い匂いがする。まあこれのせいなんだけど。
ポンと、なんの前触れもなく突然あらわれる俺の知らない荒船は、眼の下に隈をこさえてひたすらぼーっとしていて、俺がいろいろと考えてる間にいなくなる。
大丈夫かなんて言葉をかけたところで、おまえは何言ってんだって顔で首をかしげる。そこで俺はなぜか勝手に一人寂しくなってるわけだ。
別に俺はなんでもかんでも包み隠さず話せって言いたいわけじゃない。
自分の中だけに留めておきたいものくらいあるだろうし、言えないこともあるだろう。
俺はそう言いたいんじゃなくて。
ちょっとくらい気の緩んだ一言。そういうのを独り言でもいいから口に出して欲しいだけ、なんですよ。
俺に聞こえるように言ってくれればなお良し。
おまえ、かっこつけなとこあるからかなりの難題なのかもしれないけど、それくらい言ってもいいだろ。言っていいよ。言ってください。
このままだといらぬ心配して俺の胃に穴が…なんてことはないと思うけど、ちょっとくらい弱音を吐いてくれてもいいんじゃない。
なんて思いながらずっと視線を送っていたせいか、ふと荒船は俺に背を向けると、その背中から俺の方に倒れこんできやがった。
くそ、最近鍛え始めたせいで確実に前より重い。
「苗字。」
「なんだよ。つかこぼすなよ。」
ただでさえ身体が傾いてんだから、そのまま飲んでこぼすとかはなしな。
「さんきゅ。」
唐突すぎて変な声出そうになった。
荒船の顔は見えない、つむじしか見えない。
「…荒船?」
「なんか眠たくなってきた。映画今度でもいいか?」
短い髪から出た耳がちょっと赤くも見える。
俺は何も見なかった、気づいてないぞというように仕方ねえなあと返事をして、本気で寝る体勢になり始めた荒船からカップを取り上げた。
心の中は口に出してたか心でも読まれたのかと混乱してるところと、ついに荒船があの荒船がと喜んでるところでしっちゃかめっちゃかな大騒ぎである。
うん。そうやって少しずつでいいから、おまえは甘えるっていう行為を覚えていってくれ。
20151208
20151228