約束の十一時はもうすでに過ぎ去ってしまっている。
スマホのディスプレイをつけてみて、そこに浮き上がる数字の羅列を意味もなく眺める行動を、俺はさっきからなんどもなんども繰り返していた。
「…おっせぇ、」
なんだよ、自分が迎えに来いっつったくせに。
怒る相手なんていないのに、ぎゅっと眉間に力を入れてみる。けれどすぐにそれも和らいだ。
というのも、自嘲する悪魔くんが現れたからである。
そんな横暴なセリフに期待してここで待ってるバカはどこのどいつだよ。
悪魔くんは情けねえなあと書いたような顔でそう俺に鋭い矛の切っ先を向けてくるので、俺はぐうの音も出なくなるのだ。
「…俺だよバカヤロウ…。」
うん、情けねえよなあ。期待が消えていくかわりに虚しさが残る。ハンドルにうつぶせて、唸った。
「さみぃ。」
エンジンはもう切っている。だんだん車内も冷えてきて、ジャケットだけじゃ凌げないかもしれないなあと、俺はどこか他人事のように思った。
ディスプレイをつける。時間はさっきから少しずつ進んでいってるけど、メッセージは一通も来ない。
あとちょっとで、今日が終わるなあ。
俺は二宮に言われた通り、十一時より十数分ほど早くから二宮をここで待っている。
八時からあった独り身同士の集会では、一滴も飲まずに周りの愚痴やらなんやら積もる話などを聞いてやり過ごし、途中で抜けてきたのだ。
改めて考えるとすごい、なんて健気なんだ俺。
十一時に迎えに来いと、確かに言った。
もしかしたらあれは、二宮の今年最高かつ最大、そして最後の冗談だったのかもしれない。
なんて考えもしたが、諦めが悪くて学習しない人間の代表格である俺は、昼間に見たあの赤い耳を信じ、期待してやまないのである。
でもほんのちょっと後悔だってある。
独り身集会はあれはあれで楽しかったし、酒飲めたらもっと楽しかったんだろうなあ。
こんな警戒区域ギリギリんとこで、一人で暗くて寒い車ん中にいるより、よっぽどあっちの方があったかくて気持ちよくいられたんだろうなあ、なんて。
それでも俺はこっちを選んでいるわけで、もうすでに二宮が最優先の忠犬というやつになってしまっているのだ。ちくしょう、俺の純情は二宮に弄ばれてる。
ふて寝でもしてやろうかとリクライニングシートのレバーに手をかけた瞬間。
こんと、少し曇った助手席の窓を叩く音がした。
俺は窓を見ず、そのかわりにエンジンをかけてルームランプをつけ、窓を開けた。
…めんどくさいやつだってのは分かってる。
呼吸を乱した二宮が鼻の先を少しだけ赤くした顔でこっちを覗いている。
途端、喉まで出かかっていた言いたかったことが全部するすると萎えしぼんで、鳴りをひそめてしまった。
かなり急いで来たんだなあなんて、なんて単純なんだ俺。我ながらチョロ過ぎてちょっと絶句。
「…今、何時でしょーう。」
「いま。あ、…悪い。」
ばつが悪そうな顔の二宮の口からふわふわと白い吐息が流れていく。…本当、俺ってチョロい。
「とりあえずそのままで聞いてくれな。」
二宮の返事はどうでもよかった。
「俺、十一時前からおまえを待ってたぞ、ここでな。集まりには行ったけど、途中で抜けて来た。酒だって一口も飲んでない。これがどういうことかわかる?」
二宮は黙っていた。
「一時間は言い過ぎかもしれないけど、ずっとここに居たよ。…そりゃあもう帰ってやろっかなあとは何回も思ったけど、待ってた。」
ひゅうっと冷たい風が入ってきた。
寒いだろうなあと思ったから、ロックを外した。
二宮の顔がすごくアホっぽくて可愛かったので、ちょっと笑える。
「なあ、わかるだろ?」
口角がにまにまとあがってしまって、それを隠すつもりもないから、俺はそうあえて訊いてやる。
早く入って来ればいいのに、外は寒いだろう。
じわじわと耳が鼻の先よりも赤くなった二宮はそこを隠すつもりはないらしい。いや、気づいてないのか。
ゆっくりと首が縦に振られて、心臓の辺りがキツく鷲掴まれたみたいな痛みが走る。
やばい、きゅんってなった。ときめいた。
「っあー、んー…乗れよ。」
こくこくと二度頷いて、もう一言も喋らなくなった二宮がいそいそと乗り込んできたのにも、やっぱりなんだかたまらない気持ちになった。
「…俺の家くる?」
下心丸出しだってわかってるくせに、ちょっとだけ悔しそうな顔したあと、ふいって外向いて一回だけ頷くんだからもう二宮さん本当に俺は幸せです。
まきやさんへ捧げます。
20151225