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白衣に両手を突っ込んで、黒縁のメガネをかけた一人の女性と米屋は対峙していた。
太めのフレームをやけに気にするように触れながら、そのひとはたまらなく楽しそうな笑みを浮かべて米屋を呼び止めたのである。

「君が、米屋くん?」
「そうっすけど、」

誰だと米屋が尋ねるより前に、女は端正な顔のパーツのうち最も眼を引く唇の片端をぐっと引き上げた。

「ハジメマシテ、ちょっとお話いいかしら。」

苗字という存在がいながら、とはいっても米屋だって思春期真っ盛りの男子高校生である。
年上の色気にあてられて、彼は見えない尻尾を振ってその後ろを追いかけた。


女はマユミと名乗った。小洒落たカフェテリアに米屋を連れ込むと、なんでも好きなものを頼みなさいと彼にメニューを向け、優しく笑う。

「え、マジで?」
「マジよ。」
「やっりぃ!ありがとマユミさん!」

米屋は女になんの疑いも抱いていない無邪気で簡単な男子高校生を装い、その動向を観察していた。
それを知ってか知らずか、どちらとも読み取れない表情をした女は米屋が注文を終えるまで黙っていた。

「君、苗字名前と仲良いでしょう。」
「ん?んー、まあ…。」

突然の本題を振られ、それ以上の関係であるとは答えず濁した米屋をよそに、女は浮ついた声音で続ける。

「模擬戦とかするの?」
「ないない、名前さんエンジニアだし。」
「…ふうん、もう本当にやめちゃったの。」
「、は?」
「解散してもしばらくはやってたのにねえ。」

もったいない、と赤いルージュからため息とともにこぼれ落ちた言葉に口惜しいという感情が見て取れた。

「解散?」

聞き捨てならず、彼女の言葉の一部分を復唱する。
彼女は注文も無しに出てきたカフェオレをさも当然と受け取って口に含み、瞬きをした。驚いている。
その時、米屋はこのカフェテリアが彼女のテリトリーであると察して警戒を強める。

「あら、知らない?仲良いのに?」
「…マユミさん、何がいいてぇの?」

黒縁の奥の黒が狭まって、不思議でたまらないというような声音が米屋の過敏になってしまっているところを無遠慮に触れていく。

「そうね…知りたくない?名前の昔話。」

組まれた両手に赤い唇が寄り添って、甘い誘惑のような囁きが米屋の思考をぐらりと揺すった。

苗字がアタッカーであった頃の姿を米屋は知らない。しかしこの女は知っている。
どうして、このマユミという女は、苗字を下の名前で呼ぶほどに親しげであるのか。その繋がりを米屋は知らないし、知るつもりもなかった。

女は、明確な意図を持って米屋との接触を図っている。それは苗字名前に深く関係していて、苗字名前のためをおもっての行為である。

回りくどさのない、ストレートな彼女のやり方は難しくもなんともない。ゆえに、米屋は迷っていた。

苗字は今まで、一言も自身がアタッカーであった頃の話を米屋にしたことはない。
けれど、今まで苗字が口にしなかったその過去を、女は米屋に暴こうとしている。
聞きたい。でも聞いてはいけない。そんな気がする。

しかし、結局は米屋だって、好奇心旺盛な男子高校生である。
眼の前に吊り下げられた餌を無視できるほど無欲なわけではないし、煽られていると分かっていても、煮えるような嫉妬にも似た対抗心を抑えられるほど、彼は理性的でよく出来た子どもではない。

「…知りてえよ。」

その答えにマユミは喜色満面の笑みを浮かべ、ランチを運んできたウエイターにケーキを言いつけた。


「それじゃあね、陽介くん。」

別れるときにはすでに下の名前を呼ばれていた。
名前を呼ぶのは彼女の癖なのかもしれない。

結局マユミと苗字の関係はわからずじまいだった。
米屋が昼食を食べ終わると、彼女はそそくさと会計に行ってしまい話は終わった。
もっとゆっくり食えばよかったと米屋は後悔する。
聞けた話といえば、苗字がアタッカーであったころのことと、彼が所属していたという隊の話くらい。

彼女は本部に戻ることはなく、タクシーを拾うと米屋を置いて帰っていった。

始終ゆったり弧を描く赤々とした唇は、研究者の白衣とはまるであっていなかったと米屋は思う。



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