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素足がフローリングを擦る音がする。
それはさっき風呂に向かっていった時よりも、ゆっくりとして柔らかい響きをもって近づいてくる。

その音は確実に俺の胸のあたりを掻き立てる。きりきりと張り詰めた所をぱちんと切ってしまいそうだ。
まあ随分と余裕がなくて、笑えてしまう。

「あっつー。」

ハーフパンツに白の半袖シャツという見てるこっちが寒くなりそうな格好で現れた迅は、俺の顔を見るなりそう言った。オプションは嫌そうな顔である。

「なんだよ。」
「湯、熱いよ。」
「のぼせただけじゃねえの、てかちゃんと服着ろ。」
「けっこう熱かった…これ以上着たら汗でる。」

本当に、少しのぼせてるのかもしれない。
赤く色づいた顔はなんだか酔っ払ってるみたいだ。
気だるそうな表情を見るとちょっと辛いのか、いやそうではないかもしれない、なんて邪推して、俺はガラスコップをチラつかせつつシンクの方へ向かう。
今の俺の思考には、何らかの形で下心が入る。

「水飲む?」
「もらうー。」

うちのアパートに浄水器なんてものは付いてない。
そのままの水をコップいっぱいに注いで出してやる。
いつもより弱った声がありがとうと言う。コップを渡す時に迅のぬるい手のひらが指に触れた。

一瞬だけ、そのぬるい手のひらが指に触れて止まる。

けれども迅は何ともないように、腕を引いて、コップのふちに柔らかく口付ける。
その行為にさえ心臓のあたりが変に騒ぐのだから、本当にどうしようもない。

みるみるうちに透き通ったそれが血色のいい唇に吸い込まれていく。
その様子はなんともいえない純真さを生んだ。
この場に似合わないほど、清らかで愛おしい。

半分ほど水を飲み干すと、迅はふはっと息を吐く。
俺も何でもないように、その様子を眺めていた。

故意なのか、そうでないのか、そう迅の行為を判断するなんて芸当、俺には到底出来はしない。
ただ彼がきちんと用意してくれている答えを、正直に受け取って理解したつもりになるくらいがちょうどいいのでは、と思うくらいだ。

けれども、俺はあんまり気が長い方じゃない。

額を隠す前髪のせいか幼く見えるこの男に、言い様のない充実感とその端々を侵食していく欲を感じる。
あいにく、俺は静かに相手のペースを待っていられるほど理性的ではないのだ。謝る気はさらさら無い。

「なんでそんなになるまで入ってたんだよ。」
「…なんでだろうね。」
「考えごと?」
「意地悪いなー、分かってるんだろ。」

僅かに苛立ち始めた声音に、迅の毛が生えてるみたいな心臓も、そろそろ殺気立つようなこの雰囲気に限界を迎えそうなのかと考える。
ちなみに殺気立つというのはもちろん比喩だ。
それくらい、お互いに切羽詰まってるってこと。

じとりと睨みをきかせる迅の首筋には、うっすらと汗が滲む。タオルで何度も何度も拭われて、肌が赤みを帯びて、それでもじっとりと濡れていた。

「意外だ。」
「なにが。」
「もっとリラックスしてんのかと思ってた。」
「あのさあ、おれのことなんだと思ってる?」

絶対主導権を握らせてくれないタイプ、とは答えずに、少しだけ鋭くなってしまった瞳を見つめる。
そうだよなあ。おまえだって緊張くらいするよな。
少しだけ安堵した。先ほどからぞわぞわと肌は粟立ち続けている。

「…名前ー。」
「うん。」

不機嫌そうな、いつもの青が静かでもなんでも無くなったその表情が、首をもたげ始めている激情を表しているようにも見えて、煽られる。
全部幻覚かもしれない。それでもいいと思うけど。

逃げも隠れもしないぞという挑発と、僅かな怯えを宿した瞳はずっと先を見てるはずなのに、少しもそれることなく俺を突き刺すように捉えている。

「ちゃんと、まってるよ。」

だからはやく、と矢継ぎ早な言葉達はガラスコップだけに注がれて、全くもって妬ましいことこの上ない。



20151122


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