女主 | ナノ

※捏造


「え、灰羽引っ越すの?」
「おう、まーまだちゃんと日付は決まってねーんだけど。」

がちゃん、と音をたてて、それは不規則に割れて弾けた。

「ロシア?!」
「実家に帰んなきゃなんねーらしくて。」
「うぇー…簡単にゃ会えねえなぁ。」

拾い集められないほどの微塵と化してしまったそれに、無理やり手を伸ばすほど私はばかじゃない。

「ロシア語喋れんの?」
「今現在ベンキョー中。」
「うわ、灰羽に勉強とか似合わねー!」

風が吹いたから、もうどこにあるのかもわからなくなってしまった。

しん、と僅かな静寂に、私の胸に溢れかえった物と同じくらいの虚しさが響く。
クラスのムードメーカーくんは、すぐにそれを埋めて立てるように明るい声音でおどけたように話し出した。

「国際電話って、どれくらいかかんの?」
「ちょっと待て、ググるから。」
「1分1円?」
「高いのそれ。」
「わかんね。」

なんだそれー、いつも通りの和やかな笑い声が空っぽの胸に虚しくこもる。
授業開始を知らせる鐘が鳴った。みんな散っていく。私も戻る。

いつも通りに話していたはずなのに、私は一言もしゃべることができなくなっていた。
まるで口が縫い付けられたように塞がって、開けなかった。

「苗字、」

灰羽くんの声が私の名前を呼んだ気がしたけど、まさかねなんて自分の耳を疑って、聞こえないふりをした。
だってその声、私のおやつをねだる時と同じくらいはずんでいたんだから。

先生が指示したページは開いたけど、それを読む声が頭には入ってこなかった。



授業も終盤に差し掛かった頃、さらさらとシャープペンシルがノートと擦れ合う音とは別に、窓の外から静かなそれが聞こえてきた。
ああ、雨だ。

どうしようか。そういえばロッカーに折りたたみ傘を入れていたはず。

雨だ、誰かのぼやきでみんながふと窓へ視線を向けた。
そして授業終了の鐘が鳴る。誰かが深く息づいているのが聞こえた。

「苗字。」

間違いではなく、灰羽くんの声が私を呼んだ。

「ちょっと来て。」
「え、」

ぐいぐいと腕を引かれるままに、教室を飛び出す。
2メートル近い身長の彼の背中を追いかけながら、私は眼を白黒させるしかなかった。
生徒はあまり使わない階段の踊り場に着くまでの道で、不気味なほど、誰も私達に関心を示さなかった。

「ど、したの。」
「俺がいなくなると、苗字は寂しいですか。」
「え、…いや、ほんとに、何?」
「寂しいですか。」

言葉は理解できている。彼の声は一つも取り落とされることなく、確実に私の脳みそに入っている。
ただそれの意味を、隠された感情を、上手く飲み込めていないのだ。

私とは違う、緑色の瞳がキラキラしていて、指先が震えた。
答えなければいけない。彼は素直にこう聞いているのだから、私も素直に、答えなければいけない。

「さびしい、です。」
「俺は苗字が好きだ。」

返答の返答は、地球の裏側にまで行きそうなくらいに跳躍していた。
ほうけた私は、はい、と返すしかなかった。

「苗字も俺のことが好き、でも俺は日本を出なきゃいけない。」
「は、い?!」
「ん?」

さも不思議そうに首をかしげる灰羽くんに、なぜか自分が間違っているような気がして、なんでもないですと続きを促してしまった。え、あれ、間違ってるの私は。

「だから。…待っててくれ、」

まるで映画のワンシーンみたいに見えたそれは、とてつもなく残酷なものに聞こえた。
唇を噛み締めた。目の前がじわりとぼやけていく。

「なんて、言えねーんだよなあ俺。」

急にいつものように明るい声音で力なく笑いながら言った彼は、次の瞬間にはくしゃりと顔を歪めて、なっさけね、と消え入りそうなほどに声をひそめた。

「、ありがとう。」

弾かれたようにこっちを見た彼の瞳は、澄んだ緑色をしている。
私の口は、溜めていたものを全部吐き出すまで、塞がらなかった。

「私は灰羽くんが好きだ、もちろん、ひとりの人間として、恋愛感情で。」
「知ってるよ。」
「でも灰羽くんはこれからは音駒にいない、日本からいなくなっちゃう。」
「うん。」
「…待っててくれ、とは言わないで。」

灰羽くんの緑の瞳孔が開く。
違うよ、きっと、灰羽くんが思っていることと、私の言いたいことは、違う。

「それって、もう、」
「私にはきっと待つことには耐えられない、第一に待つつもりもない。」

彼が好きだ。でもそんな、待ってて欲しいなんていうどこぞの少女漫画的展開は求めてない。
どこかに飛ばされた破片たちが僅かに戻ってきた。元の形には戻れないけれど、確かにそれはここに残る。

好き合っている、その事実が今私を動かしている。

「もし私のことを、向こうに行っても好きだったなら、」

日本で私を、探してください。

半ば冗談のように、私が笑いながら言ったそれ。
突然腕を引かれて、体を拘束されたかと思うと、眼下に彼の眼が迫っていた。
雨の香りと彼の香りとが織りなすそれに、泣きたくなる。

「覚えとけよ。」

有無をも言わせない、彼のその真剣な表情を、バレーボール以外でみた今日のことを私はきっと忘れないだろう。




title:砂上にもお城は建ちますし

20150210


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