女主 | ナノ

私の右腕を引っつかんでずんずんと廊下を進んでいく、猫背気味の広い背中をぼーっと見つめる。
彼が掴んでいる腕が右腕なのは不幸中の幸いか、はたまた彼の気遣いなのか。
恐らく後者と考えるのが妥当だろうが、確認する術を私は未だ知らない。というか知る必要もない。

歩くたび、その振動でじくじくと痛みを増しつつある左手の親指を見つめる。
少し動かしてみようと試みたが、結果はぴくぴくと痙攣を起こしたように動くだけに終わり、これはひどいなと他人事のように思った。

正直言うと、今あるこの現状…つまり、私が隣のクラスの黒尾くんに右腕を引かれ(というか引っ張られ)おそらく保健室なる場所へ連行されている、この状況をイマイチ理解できていない。
しっかり理解しているではないか、と言われればそうだが、私が疑問に思っているのは、ここまでに至った理由(原因ともいう)についてである。

だがしかし、元から容量の少ない脳味噌は、まあ細かい事はあとにしよう、と思考を放棄。
引き換えに左手の痛みを激しく訴え始めた。…これはいたい。


体育、といえば得意不得意が分かれるも、嫌いという人は少ないのではなかろうか。
少なくとも私はそうで、運動は得意ではないものの、体育の授業は嫌いではない。
観戦が好きだ。特に野球。
だから野球部に入ってマネージャーをやった。
観戦だけでなく、雑務もやらされたけど。(でもスコアブックを書くのは楽しかった。)
キャッチボールくらいならうまく出来るようにもなった、だがしかし。

2クラス合同体育の真っ最中、観戦に集中していた私が、かなりのスピードで飛んできたバスケットボールに、
誰かが思わず漏らしたような声で、反応出来るような身体能力は持ち合わせているわけがないのだ。

運が良かったのは、丁度首筋の裏を手で摩っていた事。
運が悪かったのは、咄嗟に頭を庇おうと伸ばした左手の親指が、バスケットボールと正面衝突してしまった事だ。

まずその一瞬で思ったのは、テニスボールくらいならなんとかなったかな、という自意識過剰なそれである。
そうしてそこから何故か黒尾くんに腕を引かれて、今の私に至るわけなのだが、

「おい、」
「え、ああ、」

アイシングか。彼が差し出す氷のうを、お礼を言って受け取る。
痛みもだんだん麻痺してきたが、捻挫や打撲に適当な応急処置はアイシングだ、やっておくべきだろう。
負担を掛けないように、氷のうで親指を包む。

はいここで問題提起。ちゃーらん、ちっちっち。
なぜ、黒尾くんが私に氷のうを用意してくれているのか。
答え、保健室の鬼女がいらっしゃらないためです。
私は正直あの先生は好きではないけど、今日ばかりはどうしていてくれないんだと彼女の不在を悔やんだ。心底悔やんだ。

親指を冷やしながらじっとしていると、ふと視線を感じる。
その方向を見ると、当然というか、黒尾くんと目が合った。
私は椅子に座っているので、立っている黒尾くんを見上げる姿勢になり、なぜか少し背筋が伸びた。
そして思わず、本音が漏れる。反省もしているし後悔もしている。

「なんで帰らないんですか。」
「なんで敬語ですか。」
「私が先に質問してます。」

視線の攻防戦の後、勝利を収めたのは私だった。鋭い眼が外れてくれて、身体の力がふと抜けた。

「…特に、意味はありません。ハイそっちは。」
「特に親しくない人なので。」
「ずいぶん冷たいデスネ。」

再び彼の、今度は伏せられた三日月を描く瞳が、楽しげにこちらを射抜いてくる。
しまった、言葉の選択を誤ったらしい。

「俺、5組の鉄朗です。ハジメマシテ、苗字サン。」
「ご丁寧にありがとう黒尾くん、そろそろ戻ったほうがいいんじゃない、授業。」

なんてくえない野郎だ、というのが正直な意見である。
早く出てってくれないかな、と思ってそう促してみるも、

「お、名前知ってくれてんの、嬉しいね。」

と満面の笑みで言われ、終いには「タメ語っつーことは親しい仲に昇格?」とにやにやしてくる始末である。
むりだこのヒト手におえない。

正直もう面倒になってきて、愛想程度に笑いながら掛け時計を指差す。

「授業、あと20分残ってる。」
「あー、サボろっかな。」
「そうなの?じゃあ私は戻るね。」

逃げられる。これ幸いと椅子から立ち上がれば、黒尾くんがいい笑顔をしていた。
変な汗が出た。なんでだろう。

「その手じゃ、なんにも出来ないだろ。」
「見学させてもらうよ。」
「退屈じゃん。」
「ううん、スポーツ観戦、すきだし。」

黒尾くんはふうんと言って、たのしそうに口元をにやにやと緩ませる。

「なあ、もうちょい話そ。」
「え。」
「20分だし、俺らいなくても気付かれねえって。あ、苗字ってマネージャーだよな、野球部だっけ。」

すでに話すことは前提らしい。私には断るという選択肢がないようだ。諦めて、硬い回転椅子に腰掛ける。

「…野球部マネージャーです。」
「あれ、敬語に戻った。苗字って気まぐれな?」
「黒尾くんは傍若無人ですね。」
「あ、俺嫌われた?」
「なんとも思ってないので、ご安心ください。」
「それもそれでイヤだな。」

なんということ、私は人生初のサボタージュというものを、保健室で、しかも男子生徒と一緒にしてしまった。
内容は色気も何もないが、文章に起こすだけでこうも意味深になるな。生徒指導の高野先生が聞いたら倒れてしまう。

内心深い溜め息を吐きつつ、会話を愛想笑いで誤魔化していれば、黒尾くんは小さく唸ってみせた。何事。

「、困るんだよなぁ。」
「はあ。」

何が、とは聞かない。すでに胡散臭さたっぷりの笑顔が、こちらを向いている。
私は逃げるように氷のうへ視線を動かす。

「バレー、興味ある?」
「球技は割となんでも好きですし、観戦もします。」
「それは肯定と受け取っていいと。」
「まあ、ただ特に好きなのが野球というだけです。」
「…今度練習試合あんだけど。」

来ねえ?という黒尾くんの言葉に、ちらりと視線をあげると、じっとこちらを見る眼と合った。

「こっちも部活があるんですね。」
「知ってるけど。」
「正直、無理かなあと。」
「今週の日曜、9時から試合。」
「…あのすいません、話聞いてますか。」
「俺の勇姿、見に来てネ。」
「可愛さの欠片もない。」

思わず真顔で返してしまった。すると黒尾くんは吹き出し、笑い始める。

そしてその時、人生初のサボタージュの終了を告げるチャイムの音に、彼の笑い声と言葉は掻き消されてしまった。
途端に彼の顔がものすごく萎えていたのだが、見間違えだと思っている。

余談であるが、その週末、私が彼の勇姿を見ることはなかった。




title:僕の心はそんなにやわじゃない

20150122
20150307


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