正直な所、家が隣ってだけじゃ、漫画のように甘やかな幼馴染関係ってのは、築けないと私は思う。
お隣さん家の黒尾クンとは幼稚園から小学校まで一緒に登校し、風呂も入っていた仲。
つまり裸の付き合いなのであったが、中学から別れた私達はそのような関係にはなれなかったのである。かっこわらい。
甘やかな幼馴染み関係というのは、どのようにしたら築くことが出来るのだろう。
私には到底考えられない事なので、少しばかり疑問に思う。
そもそも幼馴染みというのは幼い頃からの付き合いがある相手の事を言うわけで、物心つく前から一緒にいればそれはもう兄弟同然。
異性として意識するより前に、家族意識のほうが、俄然高くそびえているのではないか、というのが私一個人の意見なのだが。
がっちゃんがっちゃんと、施錠したはずの玄関の鍵がこじ開けられる音を聞きながら、長らくお世話になっている炊飯ジャーに御釜をセットした。
よし、あとはスイッチを押すだけである。
「ただーまー。」
「おけーりー。」
日本語を喋れと、いやいやこれも日本語でありますとも。
多少形が崩れようとも、立派で正当な日本語です。少なくともうちの家では。
「あー、ねーちゃん腹減ったー。」
「お風呂に入りなさい、話はそれからだ。」
「肉食べたーい。」
「肉…はいよ。」
運動部特有というのか、制汗剤では隠しきれなかった汗の臭いを僅かに振りまきながら洗面所の方へと歩いていく姿はひょろっと細長くて、
我が弟ながら足長えなと、自分のムダ毛処理されたばかりのつるりとしたふくよかな短い脚をみて、思わず顔をしかめた。
別に遺伝子なんて信じてない。
僻んでないったらない。
さて私が何故先程のような思考に陥ってしまったのかといえば、学校でそのような話題になったからである。
まあ話題といっても、
「幼馴染みって、なんかいいよね…。名前は幼馴染みいる?ちなみに男で。」
「うん。」
「え、まじ?!」
「家が隣、けどむこう部活忙しいみたいで全然会わないよ。他校だし。」
「家が隣でも会わないんだ…。」
という、友人を落胆させるようなものでしか無かったわけだが。
その話題に至った理由が、最近ハマった少女漫画だそうで。
「十何年の片想いとか、」
そんなの綺麗な漫画だけの話である。思わず失笑。ぷぷぷ。
と思わなかったわけではなかったが、それらは世の乙女達に夢と潤いを与えてくれているいわゆるバイブルというもの。
だから、それもまた作者個人の一意見なのだと自己完結。
「ねーちゃん、今日かあちゃん帰るの遅くなるってー。」
「ああ、冷蔵庫の中何ある?」
「…にくが、ない、だと。」
母親からの帰宅が遅くなりますという連絡が入ったなら、それは晩御飯は勝手にどーぞの合図である。
そして弟の台詞は、肉買って来いの類義語である。
「…食器洗ってよ。」
「のった!」
食後の食器洗いを条件に、私は弟のリクエストに応えるべく買い物に行くことにした。
折り畳んだエコバッグと財布を持ってサンダルに足を入れた時、少しだけ嬉しそうな高いトーンでお菓子を言いつけてくるあたり、我が弟は相当無遠慮だ。母親に似ている。
そこでなんだかんだちゃあんと聞いてやるのが私だ。父親に似ている、らしい。
それにしても荷物持ちとしてついてくる程度の気遣いも持ち合わせていないやつは、まことにかわいくない弟である。
ぷらぷらと本来の姿に戻ったエコバッグを揺らしながら、薄暗い帰路を歩く。
電柱につけられた街路灯がちかりと光を灯し始めていて、もうすっかり夜だなぁと足を早めた。
もう家は眼と鼻の先という所で、弟の声が聞こえてくるのに気付く。
誰かいるのかと玄関を見やってみれば、それは少し猫背気味に立つ、ぼさっとした黒髪の男の人がいる。
友達だろうか、少なくとも私の知り合いとは似ても似つかぬ後ろ姿だ。背高いな。
「あ、」
弟が私に気付いて声を上げた。それにつられて男の人も、私の方を振り向く。
ぱちんと目が合う。僅かに眼を見開いて凝視してくる男の人は、見覚えがあった。
どうしたらいいかわからなくて、思わず弟に視線で助けを求める。
しかし、我が弟はそこまで人の感情に敏いわけではない。
せいぜい、おかえりと言って私を家に上げるくらいだろう。
「おかえり、お腹すいたよ。早く飯。」
「ああ、うん。」
大当たりである。
そのまま彼を横切って家に入るのも忍びないと思い、もう一度だけ、男の人もとい、幼馴染みの顔を見上げた。
「こんばんは。クロ。」
「…こ、んばんは。」
ものすごい笑顔で笑いかけられた。直感的に、こいつ胡散臭くなったなと思った。最後にあったのは、中一のころの焼肉パーティだったか。
「ねーちゃん、晩御飯一人分増やせる?」
正直、それは想定内であったので、私は二つ返事で引き受けた。
すでにご飯は五合、炊いてある。
…足りるかな、運動部男子二人相手に。ちょっと心配になってきた。
私のごはんが余っていますように。
台所から聞こえてくる物を切る音は、俺の気分とは逆にとても快活だった。
「ねーちゃん反応薄すぎっしょ。」
どんまいクロちゃん、と笑う弟分に軽く殺意を覚える。
「てかいまだに?何年?つかよくもつね?」
良くも悪くも、ねーちゃんフツーじゃん。
テレビのチャンネルを変えながら、弟分は至極真面目そうに言った。
この男は、中高と学校が別れてもなおあいつが好きな俺をしぶといヤツだと笑っているのである。なんて性悪。兄ちゃんはかなしい。
「いるわ音駒の顔面偏差値たっけえぞ。」
「ふーん、じゃあなんでねーちゃん?」
「…知らねーわ、俺だってあんな冷めたの、」
訝しそうなその眼には、色々な感情と言葉が込められていることを俺は知っている。
ただ言えることは一つ。
「…超抱きしめてえとか、ないなと思う。」
「それ本人に言えないなら帰ってもらえマスカ。」
「なんなの?久しぶりの再会をローテンションって、なんなの?焦らしてんの?」
「あ、だめだこの人話聞いてない。」
がしがしと頭を掻きむしって台所の方を睨む。やつの姿はない。
ふと、先程の再開で一番に気付いた、あいつの大きな一つの変化を思い出して、ぼうっとテレビを見続けている弟分に尋ねてみる。
「てか、あの頭どした?」
「ん?」
「髪だよ、髪。すげえ短くなってる。」
なんてったっけ、ショートボブ?
家に入っていった時の後ろ姿の、やけに白いうなじがちょっと心臓に悪かった、実は。
「ああ、失恋。」
「は?!」
「嘘だよ、嘘嘘。」
顔怖いなあ、いやらしくニタニタと笑いながら、テレビの音量を上げ始める弟分。
ちょくちょく会っていたが、会う度会う度、からかい方が酷くなっている。
思わず喉から、唸るような声が出た。
「…うるせーぞ。」
「まあ似たようなもんだろうけどね、」
「は?てかうるせーって、」
「褒めてくれる人間がいなくなったからなんだって。髪切ったの。」
沈黙が落ちる。しかしバラエティーの賑やかな声がそこを埋めてくれた。
答えまでに、少し時間を要した。
元々あいつは長い黒髪のストレートで、俺はたまにそれを一つにまとめたりする姿が結構好きで、
「キレーなモンだな女の髪は。」とか「どうやってそれまとめんだよ。」とか、言ってみたり、
嫌がられなかったからちょいちょい髪の毛を手に取ってみたりしたけど。
それがそこまで、あいつに影響を与えていたとは。
正直ちょっと嬉しい。
「…えっと?」
「自意識過剰はやめときなー、ねーちゃんの発言に深い意味はないと見た。」
「デスヨネ。」
分かってはいた、けれど、さも何もないようにあっけらかんと曰うやつを恨めしく思いながら、諦めて俺もテレビに視線を寄越す。
いや、恨めしく思っているのは案外台所に立つ、あいつのほうかもしれない。
「出来たからお皿運んでー。」
久しぶりの再会を、相変わらずの反応と態度で示してくるこいつが、
「ヘェヘェ。」
それでも好きだと思うんですねーこれが。
恋とは不思議や不思議。
20150122