こちらの続き。女主です。
けたたましく鳴り響くそれに、身体の重さが取り戻されつつあった。
重い。動きたくない。でもうるさいから、止めないとご近所に迷惑が。
起きなきゃ。アラーム。止めなきゃ。
いつもと変わらない動きで、音源に向けて手を伸ばした。
はずだった。
まだ手のひらは何にも触れず虚空を彷徨っているというのに、毎朝聞いているアラームの音が途端に止む。
おや?と思った時には、指先が温かいものに包まれ絡められた。
「器用だな。いつもそうやって、眼を閉じたまま携帯を探すのか。」
そのテノールの声は、寝惚け眼を一瞬で覚醒させるのには十分な効力を持っていた。
「は、」
「おはよう。」
眼下へ飛び込んできた高校時代の先輩もとい上司の変わらない表情。
どことなく目元が柔らかい気がする。あと何だか甘い。
「お、おはよ、ございま…。」
「頭、痛くない?」
「え、ぁ…。」
身を起こそうとしてぐらりと視界が反転する。
いたい。あとむかむかする。きもちわるい。
ふうと息を吐いた時、恐ろしく酒臭かったそれに、ああ昨日は飲みすぎたなと自分に呆れた。
そして眼の前にある上司の姿に、どう言葉を続けようかと深刻に悩む。
「心配しなくても、何もしてないよ。」
その静かな声音が変に逸る心音を宥めてくれる。
少しだけ気持ちが落ち着いて、昨日の夜のことを段々と思い返すことが出来た。
途端に、自分の醜態に対する羞恥が湧き上がり、首がゆるゆると下を向いた。
あわせる顔がないとはこの事だ。
「す、みません、でした…。」
「いいよ。覚えてるんならそれで。」
ぐさりと釘を打たれた気分だった。
一瞬何を言えばいいのかわからず、口を噤む。
それでも再び開かれたそれは、懺悔にも似たものを発していた。
「本当に、すみませんでした。酔っていたからといって、男の人の家に泊まるだなんて。軽率すぎました。」
以後気をつけますとかしこまった口調で言う。
赤葦さんは何も言わない。ただ私の手を握り続けるだけだ。
その場の空気に居たたまれなくなったのは私だ。
心の方が、どうにかこの場を抜け出して、家に帰って仕事に、いやこのまま直行か、とどちらにしろ職場に行かなければという半ば使命的なそれに囚われつつあったからかもしれない。
というのは、単なる言い訳にしかならないが、それでも飼い慣らされた社畜の私にとっては、当たり前の心境でもあった。
「っあの、私家に」
「一応、警戒心はあるんだ。」
「は?」
「鈍かったらどうしてやろうかと思った。」
恐ろしい発言を聞いた気がする。
思わず顔をあげ、呆然とする私を彼はまっすぐと見つめたまま、こちらへ身体を乗り上げてきた。
そこで気付く。自分がいるのはベットの上だと。
後退る。しかし赤葦さんの腕がそれを許さない。
「ちょ、何。」
「何か聞きたいことはないのか。」
そりゃあ山ほど。
しかしただでさえ混乱しているこの頭では、今あるこの状況について理解しようとするだけでいっぱいいぱいで。
やっとこさ脳みそ振り絞って考えついたそれを吐き出せたのは、赤葦さんの手がふと離れた時だった。
「あ、の…今、何時ですか。」
赤葦さんは少し首を傾げて、それから少し微笑んだ。なんなんだ。その微笑みの意味は何。
「いつもなら、君がデスクについてる時間だろうな。」
その言葉に、さあっと血の気がひいていくのがわかる。まごう事なき遅刻を告げるそれに、嫌な汗が流れた。
どうしよう、どうしよう。ずっと気をつけて、口実なんて作らせなかったのに。
また、呼び出される。また、あの人に。
いやだ。もういや。
身体が震える。それをなだめるように当てられた手のひらにも肩がはねた。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても、今日は休むって会社に伝えたから心配するな。」
赤葦さんの声音が不安を削ぎ落とすように掛けられて、身体の強張りが解けていく。
「…え、」
「あ、電話かかってきてたからそれに出といた。」
「え?!」
どういうこと。頭の中は再び大混乱である。
渡された携帯の着信履歴を確認して、息を飲む。
大嫌いな上司からだ。
ということは、赤葦さんはこの人からの電話に出た…の、?
「はい逃げない。」
「は、なしてくださいっ!」
腰に回されていた腕の存在を忘れてベットから飛び降りようとした私は、案の定赤葦さんによって引き戻される。
まってまって、今更だけど赤葦さんってこんなにスキンシップ激しい人だったかな!?
「あ、赤葦部長!ほんと、だめですって!」
「…ここまで仕事の延長線にされるのは、困るな。」
「何を、うわあぁ!」
ばすんとシーツの上に押し倒され、というより背中からのしかかられ、どうにも抵抗する術がない。
「あの、あのあの。」
「ん?」
「、赤葦、さん?」
左耳へダイレクトに響く声にぞわりと悪寒を感じながら、お仕事は?というニュアンスを込めて彼を呼ぶ。
「時間はお互い、しっかりあるから、ちょっと話そうか。」
それだけで私はこれからの事を悟ってしまうわけで、昨夜の自分の醜態を嫌々思い出しながら、赤葦さんの言う“ちょっと”の間にメンタルをどんどん削られていくのである。
伊達に梟谷のマネやってないから、赤葦の怖さはよく分かってる。…つもり。
瑠花様へ。
20150331
20150427