医師

この地域にしては、そこそこ大きい大学病院に凄腕の外科医がやってきたらしい。
何故「らしい」という言い回しなのか、と言えば相手は医者で私は院内の売店の店員。病院勤務という括り以外の接点がないからなんだけど。
若い男性、独身でイケメンと聞けば遠目からでも一度は拝見してみたい。野次馬根性剥き出しなのはきっと母親譲りだろう。
しかし先生がこの病院に来てから数日が過ぎると始めこそキャーキャーと悲鳴にも近い声で騒いでいた女性陣は一切その件について触れなくなった。
噂ばかりが先立って期待値を上げすぎたって所だろうか。なんて暢気に考えながら先程到着したばかりの食品を並べていく。すると白衣を着た若い男性が店に訪れた。
もしかしたら、この人が最近赴任してきた先生だろうか。あまりジロジロと見ないよう細心の注意を払っていた。
そのつもりが、かえって怪しかったようで気付けば相手に凝視されていた。


「い、いらっしゃいませ」


この気不味い空間の居心地の悪さに耐え切れず、考えに考えて口から出た言葉が挨拶だった。
不自然じゃないけれど、このタイミングで発する言葉でもない。
それでもいい、交わったままの視線を逸らせるならば。

ささやかな願いも叶わずに見つめ合う状況は現在も続行中で暑い時に出る汗とは違うものが、ツツーと首筋を流れていく。

囚われているような錯覚に陥っていた。


「それ」

「…えっ?」

「手に持ってるモン、会計してくれ」


まだ並べ終えてないお団子を指差して「全部貰ってく」と言った。そこで漸く解放されたのだ。
自由になれた事に安堵して足元に置いてあった紙パック飲料の入ったケースに勢いよく蹴飛ばした。


「いっ…!」

「おい、大丈夫か?」

「すっ、みません。少々お待ち、」

「足、見せてみろォ」


床に座れと促され言う通りに従えば、ぶつけた方の足に触れる。
ゴツゴツと骨張った手からは想像もつかない程に優しく触れるものだからジンジンと痛む足は熱くなっていく。


「皹が入ったかも知れねェなァ。レントゲン撮んぞ」

「あ、いや、でもまだ仕事中でして」

「怪我人を治療すんのが俺の仕事だ」


凛とした表情で言われたら頷くしかない。
店をこのままにはしておけないので急遽事務の方にお願いをして交代してもらった。
揺らさぬようにとゆっくり抱きかかえられ、そのまま診察室へと運ばれていく。


───────


診断の結果は重度の打撲。骨には異常もなく蹴飛ばした相手がプラスチックで良かったと思った。
とは言え数日は腫れが引かず、まともに歩けないから仕事は休むようにと念を押された。


「不死川先生、ありがとうございました」

「これが仕事だからなァ」


松葉杖をお借りして会計と仕事先への連絡を済ませ、ゆっくりと歩いていると一台の黒い車が目の前に止まる。


「名前」

「不死川先生?」

「送るから乗れ」

「え、あっ、」


助手席を開けて杖を後部座席に置くと私が乗るまで急かさず待っていてくれる。
あれ、今し方呼び止められた時に下の名前で呼ばれたような。…まぁいいか。
接してみれば優しいし筋肉もあって逞しいし送迎までしてくれる紳士な人だと思う。モテる要素がこんなに揃っているのに女性陣が騒がなくなったのは何でだろう。

関わる事なんてないと思っていたのに、彼と視線が交わった時から人生が狂わされたような気がする。


「こんな事までして貰って本当にすみません」

「これはプライベートでしてんだから気にすんなァ」

「助かります。あ、住所は…」

「把握してっから任せろ」

「…あぁ、さっき表に書きましたものね」

「職権乱用ついでに、もう一つ」


信号が赤になり、そのタイミングで此方を向くと
「治療っつー名目で、名前に触れられたしなァ」
耳元に唇を寄せて、そう囁いた。



先生、胸が熱くて苦しいです。



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