慕情 | ナノ



逢魔時が迫る頃、張り詰めた表情でひた走る一人の隊士を見掛けた。真新しい隊服を身に纏い、鎹鴉に急かされている女隊士は入隊直後と言った所か。
目的地はどうやら同じらしい。丁度いい、力量を見極めてやろうと身を隠し様子を窺う事にした。
人に化けた鬼が姿を現すと女隊士の纏う気配が変わった。まだまだ隙も多く危なっかしいが肝が据わってる。
師に恵まれたなら、こいつは格段に上達するだろう。

これが、名前との出会いだった。

二度目の出会いは偶然にも立ち寄った甘味屋だった。
大抵の隊士は俺を恐れ近寄る事さえ拒むと言うのに、あろう事か名前は自分を鍛えて欲しいと懇願してきた。
どんなに突っ撥ねても臆する事なく透き通った瞳を向け諦める気配すらない。

人にモノを教えるなんざ性に合わねェってのに。もっと面倒見のいい奴がゴロゴロ居るんだ。何故、俺に拘るのか。
その理由も、後に判明した。

今まで散々大切なモンを失ってきた。
仲間、親友、そして家族。
もう、うんざりだ…目の前で大事なものを奪われるのは。
そう思う反面、守るべきものがあるから、より強くなれる事も理解している。
名前と行動するようになって冷静さを保てるようになったのは、その証でもあるだろう。

少しずつ俺の中で何かが変わり始めていた頃に、それは起こった。

鬼を連れた鬼殺隊士ってのが現れやがった。しかも冨岡の野郎はそいつを庇い、万が一にも事を起こした時には命を差し出す覚悟だと言う。
理屈じゃねェだろ、鬼は鬼だ。俺達は鬼を滅殺する為に此処にいるんじゃねェか。
お館様が何と仰ろうとも俺は絶対に認めねェ。

吐き出せずに日々増している苛立ちは、やがて心を蝕んでいく。
行き場を失くした煩わしさを鬼へと向ける事だけに集中していると、突然名前の身体が目の前に現れた。
気付いた時には斜めに振り上げた刃が名前の脇腹を斬っていた。
そこで俺は、漸く我に返ったんだ。

蝶屋敷での長期療養となった名前が心配で可能な限り顔を見に立ち寄った。規則正しい寝息を聞いては安堵の息を吐く。
こいつが邸に戻ってきたなら二度と危険な目に遭わせたくはない。隊士を辞めさせて俺が守っていく、そう決心を固めた。

だが、思惑通りにはならなかった。
不慣れながらも自分なりに名前を大切に想っていたが、微塵も伝わってはいなかった。
女心…んなモン理解していたなら苦悩はねェよ。
一方的に捲し立てて飛び出して行った名前を眺める事しか出来なかった。
情けねェな、と呟いた言葉は誰にも届く事無く消えていった。

途方に暮れていると宇髄の鎹鴉が名前の居場所を報せに来た。
よりにもよって名前を遊郭に潜入させるなんざ何考えてやがる。

誰にも触れさせたくない。
着飾る姿を誰にも見せたくない。
名前を誰にも、渡したくない。

見世の片隅に居た名前を見つけると直ぐ様、中へと入って行った。
何と言われようとも、どんなに拒まれようとも、この場所から連れ出し邸へ戻る。


「名前。着替えたら、帰んぞ」

「…何でっ」

「あァ?迎えに来たんだろォが」

「私は頼んだ覚え、ない」

「お前なァ」


名前が強情なのは今に始まった事じゃねェ。言い争ってる暇はねェんだ。
この機を逃したら二度と、俺の元には戻って来ない。
意地張ってる場合なんかじゃねェぞ、言葉で伝えるんだ。


「名前、お前を愛しく思ってる」


…なんだよ。
素直に伝えただけで、こんなにも晴れやかな気持ちになるんじゃねェか。


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