慕情 | ナノ



これは、あくまでも任務。
頭では理解しているつもりでも心は見知らぬ男性に媚諂うなんて、と拒否反応を起こし身体が自然と強張っていた。


「名前、力抜け。化粧出来ねぇだろ」

「あの、宇髄さん。やっぱり…」

「動くなって。紅がはみ出る」


閉ざされていた目をそっと開けてみれば息が触れ合う程近くに宇髄さんの顔があって瞬時に仰け反る。


「かかかか顔がっ!ち、ちち近いです!」

「仕方ねぇだろ。これ以上喋ったら、その唇に食い付くからな」

「ひいっ」


狂気じみた言葉に全身の血の気が引いていく。行き過ぎた冗談にしては質が悪いと歯向かえる度胸もなく言われた通り口を閉ざした。


「今晩だけの辛抱だ。妙な動きや音、どんな些細な事でも手掛りに繋がりそうだと思ったら根刮ぎ拾え」

「は、はい!承知しました」


こうして遊郭潜入調査の幕が開けた。


宇髄さんの指示通り、ときと屋に着くなり下働きの遊女として雑用をこなしつつ部屋や屋根裏に耳を澄ます。時折、様子を見にきては優しく笑んで言葉をかけて下さる花魁に本来の目的を忘れてしまいそうになりながらも周囲に異変はないかと聞いて回った。

壁の中から蛇が蠢くような音が微かに聞こえた程度で他には何も成果が得られなかった。やはりこの短時間で得られる情報に限度がある。
そろそろ宇髄さんが迎えに来る頃合いだ。遊女の人達と見世に向かい一番奥の端に座った。この並びの順番は格付けで決まっているのだとか。

今日何度目かの這うような奇妙な音が頭上から外へと向かっている。この音の根源を突止めたいが勝手に動く訳にもいかない。
迎えはまだかと格子の隙間に目を向けると、どこか見覚えのある姿が視界に入る。

…まさか、ねぇ。

慣れない仕事をしたせいで疲れているんだ。
うん、きっとそうに違いない。
今一度、外を眺めてみれば、今度は確実に目が合った。

任務とは言え、こんな姿…一番見られたく無かった。
何故、此処にいるのだろう。

楼主に呼ばれて部屋の前まで来ると心臓を針で刺されているのではないかと思う程チクチクと痛み鼓動は激しさを増す。


「失礼致します」


この中に入れば潜入調査は終わる。でも、出来る事ならば今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
声を掛けたものの中々入らない私に痺れを切らしたのかスパーンと勢い良く襖が開けられた。


「早く入れ」

「あっ」


腕を引っ張られて体勢を崩し部屋の中へと倒れ込んでしまった。


「任務でも、そんな格好してんじゃねェよ」

「…何しに来たんですか、不死川さん」

「お前が遊女として潜入してるって宇髄が鴉、寄越してなァ」


倒れたままの私をゆっくりと起こすと隣に腰を下ろした。
あんな形で邸を飛び出した手前、真っ直ぐ顔を見る事が出来ない。後悔はしてないけれど一方的に気持ちを吐き出して逃げた事は悪かったかなと思う。一晩で冷静になれたのは宇髄さんが話を聞いてくれたからだろう。


「名前。着替えたら、帰んぞ」

「…何でっ」

「あァ?迎えに来たんだろォが」

「私は頼んだ覚え、ない」

「お前なァ」


引くに引けない、意地のぶつかり合い。
もっと素直になれたなら…なんて、今更だ。


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