手の鳴る方へ | ナノ



天元様は調べ物があるとの事で、ここ数日お顔を拝見していない。
共に行動する事が当然のようになっていただけに何をしていても一人きりだと寂しさを感じてしまう。


「天元様、ちゃんと睡眠を取っていらっしゃるかしら」


邸にもお戻りにならないなんて珍しくもないのだけれど私がお声を掛けて頂いたあの日からいつ如何なる時でもこれ程長く離れた事はなかった。
けれども今回は留守を頼むと仰って出たきり、今も尚何の音沙汰もない。
天元様の身に何かあったのではという類いの心配はしてないものの落ち着かなくて先程終えたばかりの素振りを再び始める。


「励んでるじゃねェか」


誰もいない筈の背後から天元様のものとは異なる声がして腕を止めゆっくり振り返ると何時からいらしたのか風柱様が縁側で寛いでいた。


「かっ…風柱様」

「蝶屋敷以来だなァ」

「あ…」


蝶屋敷での出来事を思い出すと言葉が詰まった。
風柱様は初めて出会った時から私に対して疑念を抱いておられた。そしてあの日、蘇る前世の記憶に現れた継国縁壱の名前を口にして誰なのかと問われたままになっている。あの場は天元様に救われたけれど、もし此処で再度問い詰められたならば逃れる事など出来やしないだろう。


「名前」

「え、あっ…はい」

「話なら宇髄から聞いてんぜ」

「そ、ですか」


話してもいいものか、なんて心配は杞憂だった。天元様が判断した上で話したのならば私の口からは何も言うまい。
私が天元様に全てを明かした時点で何れは他の人にも伝わると予見していたのだから。


「俺が今日此処に来た理由は、お前のその匂いの根源」

「…匂いですか?」

「胡蝶が分析したんでなァ。伝えに来てやったんだよ」


蝶屋敷に運ばれた日、採血をしたのはそれを調べる為だったのか。
それにしても、わざわざ風柱様が出向いて下さる程重大な結果だったのだろうか。
緊張からか暑くもないのに汗が首元を伝い喉は渇き思うように声が出せない。


「…顔色悪ィな。聞くの、やめとくかァ?」

「だ、いじょぶ…です」

「話すぞォ」

「お願い致します」


聞き慣れない言葉が次々に飛び出し、その情報量の多さに脳がついていかない。始終首を傾げたまま聞いていれば風柱様は「理解してねェな」とこめかみに青筋を浮かべ怒り出した。


「素人にもわかりやすくして頂けたら助かります」

「俺だって専門外だ。甘ったれんなァ」

「す、すみません!」

「要は汗や唾、血が匂いを発してんだとよ。…で、だ。肝心なのは、ここからだ」

「…はい」

「その甘ったりィ匂い、どっかで嗅いだ記憶があって引っかかってたんだよなァ」


そう言われても私自身、全く匂いがわからないので答えようもないのだけれど。そんな事を口にしようものなら、また怒りを買ってしまうのは明白。
ここは相槌を打ってやり過ごそう。


「名前。お前のその匂いは、藤の花だとよ」


藤の花と言えば、鬼を殺せる毒を持つ花。故にその香りを鬼は忌み嫌う。そんな匂いを漂わせていれば鬼は近づいて来ないだろう。
だとすれば任務以外で鬼に遭遇しなかったのは、この匂いを避けられていたからなのか。

京に滞在中殆ど出会さずにいたのは鬼が居ないからではなく、私が居たからなんだ。

そう考えたら、胸の奥にあった痼が取れて少し楽になった。


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