アネモネの悲嘆
いつも通りの時間に登校しクラスメイトと他愛ない会話をする。
昨日までと何ら変わらない日常。
…のはずだった。
「苗字、宇髄先生が探してたぞ」
男子生徒の一言で要らぬ注目を集めてしまう。
先程まで笑顔で会話を楽しんでいた女子からは好奇の目で見られ、この空間に息が詰まりそうになる。
「私、ちょっと具合悪いから保健室に行くね」
そう言い残し教室を後にした。
平穏な日々を意図も容易く壊してしまう、あの人からどうやったら逃れられるのか。
昨夜の件の口止めならば、あの場で言わないと約束した。もしバレたら私だってお咎めを受ける訳だし話したところで何のメリットもないのだから、そこは承知しているはずだ。
「失礼します」
「あら、名前ちゃん。顔色悪いけど貧血?」
「甘露寺先生、休ませてもらってもいいですか?」
「勿論よ!でも、帰らなくて大丈夫?」
「少し横になれば治ると思うので」
一番奥のベッドを借りて横たわると薬品の匂いとはまた別に甘ったるい香りが漂ってくる。
「名前ちゃん、ココアどうぞ。これ飲んだらよく眠れると思うの!」
「ありがとう、いただきます」
「何か悩みでもあるの?」
眉を下げて見つめる先生をこれ以上心配させないように、にっこりと微笑んで見せた。
「昨夜、なかなか眠れなかったから寝不足なだけです」
「睡眠は大切よ、しっかり取らないとね」
少し安堵した表情で「ゆっくり眠ってね」そう言って先生はカーテンを閉めた。
ココアを飲み干してベッドに倒れ込めば直ぐに睡魔が訪れる。
「名前は、会う度に母さんに似ていくなぁ」
これは、夢…か。
「お前と一緒には暮らせないんだ。お前は母さんを思い起こさせる。…ごめんな、名前」
母を見限った時のように、今度は私を切り捨てるのか。
…冗談じゃない。
あんたの事なんか、こっちから願い下げだ。
なら、何故涙を流しているの?
泣いてなんかいるものか。
あんな人、父親だなんて認めない。
頬を伝う涙を指先で優しく拭う誰かの温もりを感じた瞬間、一気に現実へと引き戻された。
「…嫌な夢」
「派手に魘されてたなぁ」
目を開けると目鼻立ちの整った顔が視界に広がる。
真上から覗き込む人物の正体が宇髄先生だとわかると、その距離の近さに吃驚して思わず掛け布団を頭まで被った。
「何、してるの?」
「名前を探し回ってたら此処にいるって聞いたんでな」
「…昨夜の件なら誰にも言わないって」
「そうじゃねぇよ」
「他にも何かあるの?」
布団から顔を半分だけ覗かせて横を向けば足を組み椅子に腰掛けている姿が目に映る。スラリと伸びた手足、顎に添えられた綺麗な指先、顔の角度、どれをとっても完璧でさながらモデルのようだ。
優しく微笑みながらちょっと甘い言葉を囁けばどんな女性も落とせてしまうのだろうな、なんて思いながら眺めていれば目が合ってしまった。
「一人暮らし、してるらしいな」
「あー、さねみんに聞いたのか」
「俺が調べたんだよ」
「生徒の個人情報を?」
「可愛い教え子の事は把握しておかねぇとなぁ」
「…宇髄先生は担任じゃないんだし、そこまで肩入れする必要ないでしょ」
知らない所であれこれ嗅ぎ回っていたなんて、あまり良い気はしない。何の目的で身辺調査をしているんだろう。
訝しげに見つめていると先生は立ち上がりベッドに腰を下ろした。
「俺、名前の保護者になるわ」
「…は?」
「聞こえなかったか?俺がお前の保護者なるって言ったんだよ」
突拍子もない事を言い出した先生に反論する事も忘れ、暫し唖然としてしまった。
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