想い出のマリーゴールド
別に彼氏が欲しかった訳じゃない。
ただ何となく一度位は行ってみたいという、ほんの軽い気持ちで参加した合コンだったが現地に着いて早々に後悔の念に駆られる事となった。
「何で、此処に居るんですか」
「そりゃあ、こっちの台詞だぜ」
「学校にバレたら死活問題なんじゃないの?」
「お前もな」
バイト先の先輩に誘われた合コンの相手は大学生だと聞いていた。
なのに約一名、職業と年齢を詐称した人が紛れ込んでいる。しかもその人物は、私の通う高校の教師だ。
恵まれた容姿、筋骨に背丈。おまけにコミュ力も高い。モテ要素満載で実際女子生徒から絶大な人気があり今現在もこの場の女性陣は先生に熱い視線を送っている。
そんな引く手数多な人物が態々素性を偽ってまで出会いを求める必要はあるのだろうか。
「宇髄先生が合コンで女漁ってたってネットで拡散しておくね」
「先生って呼ぶな、今は勤務時間外だ。それと、名前」
突然距離を詰めて身体を密着させてくる破廉恥教師を退けようと両手で力一杯胸を押してみるもびくともしない。それどころか彼の腕に包まれて引き寄せられてしまった。
ちょっと何でこんなに力あるのよ。
「ちょ、セクハラ」
「もし誰かに話したら、…襲うからな」
「脅迫!?しかも今サラッと襲うって言ったよね!?」
「誰にも言わなきゃ済む話だろ」
「言えないよ言わない言いません。だから離して」
幾ら身体を捩っても解放してくれない。
周囲の目が気になるので早いとこ逃げ出したいのに。
「お前こそ、男探しか?それとも人数の帳尻合わせか?」
「どっちでもない」
「意味わからねぇな」
「ただの興味本位。社会勉強ってやつ」
「なら、今すぐ帰んぞ」
身体が漸く解放され喜びに浸る間もなく先生は私の鞄を持ち、さっさと出入口へと向かっていく。
「名前ちゃん、帰るの?」
「先輩すみません、お先に失礼します」
慌てて先生の背中を追いかけた。
何処に居ようとも目に付く圧倒的な存在感。こんな事でもなきゃ決して関わりたくない人。
事勿れ主義の私には第一級クラスの危険人物なのだ。
「送るわ」
「大丈夫です。鞄、返して」
「家の場所、教えろ」
「ねぇ、鞄」
「俺には、名前を送り届ける義務があんだよ」
先生を見上げると、さっきまで見せていた人当たりの良さそうな表情から教師の顔へと一転していた。
未成年者が繁華街で夜遊びしている現場に居合わせました、だなんて学校側からすれば洒落にならないもんね。生徒の親にも何を言われるか、わかったもんじゃないだろうし。
あ、そっか。宇髄先生は知らないんだ。
私の母は亡くなり父はずっと海外に居るから保護者と呼べる人がいない事を。
「家に来ても誰も居ないから、気にしないで」
「親御さん、帰り遅いのか?」
「…まぁ、いいじゃない」
油断している隙をついて鞄を取り戻すと全速力で走り出す。
「じゃあね、先生」
「おい、名前」
タイミングよく信号は赤へと変わり、これ以上先生が追ってくる事はなかった。
慣れない事に手を出した報いか、酷く胸が苦しくなった。
期待をしてはいけない。
頼らなければ裏切られる事もないから。
希望を持ってはいけない。
願わなければ傷つく事もないから。
憧れを抱いてはいけない。
理想と現実の境を見失ってしまうから。
母が口癖のように呟いた言葉は、何時の頃からか胸の奥深くまで刻み込まれていた。
愛し合って夫婦になった筈なのに一度狂い出した歯車は元に戻らないまま母は命絶えた。長かった入院生活でただの一度も顔を見せる事すらしなかった父。
帰国すると期待させては裏切っての繰り返しだった非情な人を許せる程、寛容じゃない。
「私は、母とは違う」
今までだって、上手く演じてこれたんだもの。
弱音は吐かない、絶対に。
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