あまく とろける

バレンタイン当日の朝、教室内は特別な空気に包まれていた。普段なら遅刻すれすれで滑り込む男子が既に登校しソワソワしている姿を他人事のように眺めていれば突然スマホが着信を告げる。
慌てて鞄からスマホを取り出し画面を見ても相手の名前が表示されていない。

けれど何だろう、この胸騒ぎは。

それに何となく見覚えのある番号のような気がする。
いつもなら登録してない番号からの着信は出ないのに。どうにも気になって気付けば指先が通話の部分に触れていた。


「…はい」


スマホを耳に当てて賑やかな教室を足早に出ると階段脇まで移動した。


「名前か?」


電話越しに聞こえた声に心臓がドクンと跳ね上がる。
どうやら私の勘は当たっていたらしい。


「宇髄…先生?」

「あぁ」

「どうしたんですか?」

「熱があって、さっきまで寝てた」

「えっ、大丈夫なんですか?」


昨日会った時は普段通りだったように見えたのに。あ、もしかしたら先生の事だから体調悪いのに無理をしていた可能性があるかも。


「実は、名前に頼みがある」

「はい!私でお力になれるなら何でも言ってください」

「食べるモンを、今から言う所まで届けてくれ」

「わかりました!」


教室に戻り鞄を持って走り出す。途中廊下ですれ違った我妻くんが何か叫んでいたけれど一刻も早く先生の元へ行かなきゃならないんだ。
ごめんね、我妻くん。

電車に乗ってコンビニに立ち寄りおにぎりやサンドイッチを次々カゴに入れていく。それと食欲がなくなると困るからゼリーとスポーツドリンクも買っていこう。
支払いを済ませ店を出るとスマホを片手に言われた住所を目指し歩く。
そして着いた先のインターフォンを鳴らせば少し間をおいて先生の声が聞こえてきた。


「ちょっと待ってろ」


風邪だとしたら薬や冷えピタなんかも買ってきた方が良かっただろうか。そんな事を思い巡らせていればゆっくりと扉が開く。


「悪かったなぁ」

「いえ、何がいいかわからなくて沢山買ってきちゃいました」


大きな袋を手渡し「お大事に」と告げて学校へ戻ろうとすれば先生に腕を掴まれる。


「まぁ、入れや」

「えっ?でも…」

「この時間帯に制服でウロついてっと怪しまれんぞ」

「…では、少しだけ」


先生に促され部屋の中に入ると真っ先に目についたのは真っ赤なソファー。燃え滾るような色合いに目がチカチカして何だか落ち着かないのは私だけだろうか。そこに座れと言われたので遠慮がちに浅く腰をかける。


「コーヒーでいいか?」

「お構いなく…じゃなくて熱があるなら私がやりますから寝ててくださいよ」

「あぁ、熱はあるが平熱だ」


…ん?どういう意味だろう。
熱があるけど平熱って事は、


「それ、元気って事じゃないですか」

「昔っから身体は丈夫なんだよ」

「私、もしかして騙された?」

「騙しちゃいねぇさ。平熱だって熱があんだから」

「心配したのに」

「こうでもしなきゃ名前と二人きりになれねぇからなぁ」


そう呟いてマグカップをテーブルに置くと私の隣に腰を下ろした。


「こんだけ言っても気付かねぇのか。鈍いにも限度があんだろ」

「え、いや…だって先生、好きな人がいるって」

「あん時は、名前の姿が見えたんでド派手にアピールしたつもりだ」


それはつまり、先生が好きな人って私って事だよね?
昨年のバレンタインに我妻くんからクッキーを取り上げたのも私から貰えなかった故の事ならば合点がいく。


「いくら待っても来ないんなら、俺が呼ぶしかねぇよな」

「昨年のバレンタインは先生にクッキーを渡そうと探したけれど見つからなくて諦めたんです」

「あん?お前、我妻に渡してたじゃねぇか」

「教室に戻ったら、じっと見られてあまりにも怖くて渡して逃げたんですよ」

「なんだよ、元々は俺のモンだったのか」


先生は安堵の息を漏らすと私の肩を抱き寄せる。
突然触れられて顔は熱を帯びて心臓が口から飛び出してしまいそうな程に緊張していた。


「今年こそは俺に、くれるんだろ?」

「それが、用意してなくて…」

「なら、それを食わせてくれよ」


テーブルの上に置かれたチョコを指差すと口を軽く開けて待っている。
それで喜んでくれるならと包みを剥がし指先で摘んでゆっくりとチョコを先生の口元へ運ぶ。


「んー、これじゃあ足りねぇな」

「もっと食べますか?」

「名前、お前にも食わせてやるよ」

「それじゃバレンタインの意味が」

「ほら、口開けろ」


無理矢理チョコを押し込まれて口を閉じようとすると先生の顔が直ぐ近くに迫ってきて唇が重なった。
先生は口内でチョコが少しずつ溶けていくのを楽しむかのように舌で転がしていく。
熱くて甘い口付けは形がなくなるまで続いた。


「もう、先生ったら!」

「今年はこれで、勘弁してやるか」


そう言って満足げに微笑む先生に愛しさが増していった。
私はきっとこの先、幾度となく先生に恋をするのだろう。


あまく とろけるような恋を



- End -



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