ろぐ | ナノ




お昼を食べたあとに訪れる、誘惑の時間。それは魔女のささやきのように甘く、いつもわたしのもとに訪れる。いや、今日もです。



「それでーXがー」



前から流れる数学の公式の説明をわたしは右から左に完全に流していた。眠い。すごくねむい。でも今ここで寝たら絶対に怒られるだろう。数学の先生はとてもこわい人だから。そうわかっていてもやっぱり眠いものは眠い。特に、お腹いっぱいになったあとの授業は格別だ。極上の睡眠と、最悪の説教を秤にかけながらうとうとしていたとき、隣のひとの頭ががっくん、と激しく動いたのが見えた。びっくりして半目状態だった目を開いて隣を見ると、なるほど。右代宮くんだ。彼なら確かに眠っている可能性はある。



「ぐかー」



すやすやと寝息を立てる右代宮くんはとても幸せそうで、わたしはくすりと笑ってしまった。右代宮はお坊ちゃんと聞いているけれど同時におもしろくてムードメーカーな人だ。いつも元気だし、起こしてあげるのもかわいそうかな。
そうっと右代宮くんの顔を眺めてみる。まじまじとなんてこんなときじゃないと見えないもの、少しくらいいいよね。閉じられている瞼を見ると長い睫毛が揺れている。男らしいのに、綺麗な顔立ちだ。お坊ちゃんなんだなあと感じた。あっ、ふふ、よだれ垂れてる。



「…なんだ?みょうじさんったら俺の寝顔に惚れちまったのかあ?」



ふっと気がつくと、寝顔をしていた筈だった右代宮くんの顔がこっちを見てにやりと笑った。えっ、えっ?



「う、右代宮くん起きてたの!?」
「いんや、可愛い女の子に見つめられたとあっちゃおちおち寝てられんってもんだぜ」
「…!」



小声で話し合うなか、わたしはぽんっと顔が火照った。見、見られてた。どうしようはずかしい。



「いっひっひ、いいねその反応!」
「う、う、右代宮くん!」



恥ずかしすぎてつい大声を出してしまった。先生が不審そうな目でわたしを見て、生徒もくるりとこっちを向く。ああ、もう、ばか。


「…みょうじ、この問題を解いて、」
「先生!!」
「なんだ右代宮」
「やべーわ、俺今の今まで授業全く聞いてなかった…眠気になんか絶対屈伏しねえって決めてたのに!!」
「はあ?」
「寝てて、今みょうじさんに起こしてもらったんですけど。俺、眠気の魔女に誘われて夢の中で黄金卿に行ってて。この右代宮戦人、一生の不覚!」



くっ、と嗚咽を漏らしながら号泣する右代宮くん。クラスはみんな笑って、先生も笑って、また普通の授業に戻った。…良かった。先生に聞かれたところ、全然聞いてなかったから。右代宮くんかばってくれた。本当に、いい人だ。



「右代宮くん…ありがと」



そう小声で言うと右代宮くんは小さく人差し指を振り動かした。



「ち、ち、ち。聞こえなかったか?俺の名前は右代宮戦人だ」
「…?」
「お礼は、戦人って呼んでくれるってことでチャラだぜ?おっと、あとみょうじさんをなまえ呼びさせてくれることも含めるがな」



片目を瞑ってウインクする右代宮くん。そのときだけ、本当に同い年なのかというくらいかっこよく見えた。



「…うん、いいよ」
「うっしゃあそうこなくっちゃな!おっし、復唱要求。戦人!」
「ば…ば…」
「ば?」
「…ばとら、くん」
「いいねいいねなまえ!おっし、またまた復唱要求。戦人くんが好きです!世界中の誰よりも愛してます!」
「!…ばか」
「いっひっひ。まあ焦らないことにすっか。きっといつか聞けるだろうしな」
「…それはどうかな?」
「俺は諦めねえぜ。いっひっひ」