「私ね、土方さんのこと好きだったんです」
まるで昨日の出来事でも話すかのように淡々と、彼女は告げた。
夜中に部屋を訪ねてきて何かあるのだろうかと構えていた土方の耳に最初に聞こえたのがその言葉だった。表情こそ変わらなかったものの、手に持っていた筆は紙の上に黒い染みを作り出していた。
土方がただ黙っていると、千紗は構わず更に話を続ける。
過去形のそれに、何を返せばよかったのだろうか。今までそんな素振りも見せなかった癖に。耳馴染みのいいその声が今日は頭の中に重く響くような気がした。
「だって、ほら。土方さん、ぱっと見だけは格好良いでしょう」
「……悪かったな、見て呉れだけの男で」
「ほんとに」
くすくすと、薄く唇を開けて笑い出すものだから益々わからなくなる。一体何の為こんな話をしているのだろうか。からかわれているのなら最初の言葉すら本当かどうか怪しくなってくる。
「貴方の近くにいたらすぐにわかりました。ああ、この人はどうしようもない人だ――って」
「そりゃよかったな」
こんな男に引っかからなくて、と。嫌味交じりに言えば、千紗は悩ましげに目を伏せた。
「そう、ですね」
呟いた彼女の姿は、何故だかひどく儚げに見えた。近付いて顔を覗き込めば、抱き寄せてしまえば、どんな顔をするだろうと。そんな邪な感情が掻き立てられるような。こんな話でもしていなければ、きっと。
「周りに厳しくて、そのくせ意気地なしで」
彼女の口はどうしようもない男の欠点を次々と紡ぎ出す。
「残念なことにマヨネーズ野郎ですし」
「……何が悪い」
「おまけに誰より責任感が強くて。自分の護りたいもの目一杯背負い込んで。私の入る隙間なんて、どこにもないのに――」
不意に千紗の声が途切れる。よく見るとその肩は小さく震えていた。
「おい、どうし――」
気になって近付いてみれば、その瞳から溢れる雫に目を奪われる。
「そんな人好きになったって、仕方ないのに」
どうしてでしょうね……と、千紗は涙を拭い土方にぎこちない笑顔を向けた。そんな弱々しい仕種にすら、燻る何かを感じずにはいられなかった。
「だから、もう終わったことだと思うように――」
それは決して褪せた過去などではなく。むしろ、彼女の声から漏れるのは鮮やかな色を秘めた熱情で。
――触れたい。そう思ったときにはもう、体は動き出していた。肩を掴んだ瞬間びくりと体を震わせて、見開かれた瞳には戸惑いの影が揺れていた。
「ひじ、かたさ――」
「……わかりづれェんだよ、お前は」
輪郭をなぞるように撫で、そっと唇へ指を添える。
「もっと早く言え、馬鹿」
そうすれば、もっと早く触れられたのに。抑え込む必要などなかったのに。
人のことを言えた義理だろうか。何も行動を起こさなかったのは自分も同じなのだから。意気地なし――彼女の言葉の正しさに土方は内心自分を嘲笑った。
「いいんですか……。私、土方さんのこと好きでいても」
不安げに千紗は問う。上目遣いの眼差しは土方だけを見つめていた。
交わす視線にじわりと体温が上がる。触れる指先さえ震えてしまいそうなほどに。ここまで掻き乱されて、今更何もなかったことになどできるだろうか。
「後悔させるつもりはねェよ」
純粋な瞳が瞼に覆われた瞬間、溢れる想いを注ぎ込むように吐息を重ねた。
淑やかな情炎
(閉じ込めた想いすら溶かしてしまうほどに身を焦がす)