一見適当なように見えて案外優しいというのも厄介なものだと思う。
廊下の壁にもたれて、俯く視線は自分の爪先を映す。床の上を行き場もなく小刻みに揺れるだけの足は酷く頼りなく見えた。
何故私だけがこんなにも思い悩まなければいけないのだとその理不尽さにもどかしくなるけれど、そもそも人の感情と言うのは非合理的なものだ。誰かに対することなら、尚更。
自分のことを見てくれる人を好きになれたら、どんなに楽だっただろうか。そんな都合のいいこと、そう起こるはずもないのに。現に私の想う相手は手近な誰かには愛を囁くこともあるけれど、その誰かが私になったことは一度だってない。
悠々とした足音が近付いてくる。千紗と、いつもの軽いトーンで私の名を呼ぶ。それが彼であることが嬉しいようなそうでないような、複雑な気分だった。
「一人で何考えてんの」
「悟浄こそ。みんなと一緒かと思った」
「お前がいねェから置いてきたわ」
こんなときの悟浄は少しずるいと思う。普段より僅かに低く落としたその声で、まるで心配してますと言わんばかりに告げるのだから。そのくせ発端は私にあると言う。
「どーかしたか?」
「……ううん、何でも」
「嘘つけ」
頭をくしゃくしゃに撫でられ思わず声を上げる。その手つきは乱暴なようでとても優しい。弱い者にほど優しく触れてしまう人だから。多分これも、私だけ特別に注がれるものじゃないのだろうけど。
「三蔵サマに虐められた?」
「別に私怒らせるようなこと言わないもの」
「悟空に食い物奪われたとか」
「ううん、全く」
「じゃあ――」
そう言いかけて悟浄は口を噤む。どこか居心地が悪そうに、泳がせる視線には困惑の色が見えた。
「……やっぱやめた」
「悟浄?」
言い淀むなんて、珍しい。何を言おうとしたのか教えてと彼に尋ねても、きっとはぐらかされてしまう気がしたから深くは聞かなかった。その代わりに、くすくすと笑いながら「変な悟浄」と呟くと気に障ったのか軽く小突かれる。
「それだけ笑えりゃ、まァ十分か」
「……ありがと」
私の言葉に悟浄は目を細めて頷いた。柔らかく弧を描く口元のあどけなさに締め付けられた胸が苦しいと訴えてくる。
「近くにいるんだから、たまには頼れよ」
触れ合えるほど近くにいるから、言えないのに。その優しさに曖昧な笑みでしか返せない自分がもどかしい。
たとえばもしも私がここで貴方が好きだと伝えたら、貴方の特別がほしいと告げたなら。この距離は簡単に壊れてしまうだろう。きっと今よりも遠ざけられてしまうから。
今はまだ、ただ貴方の近くにいられたら。それだけで。
センチメンタルボイス
(全部を失うのが怖いから、この想いを届けられない)