短編 | ナノ
▼ さよならマゼンタ

「私、もうここでやっていく自信ない」

それはキッドの部屋に入っての私の第一声だった。
キッドは自室のソファーに腰掛けて寝ていたようだったが、私が部屋に入るなり先程の言葉を発すると片眉を上げて睨んできた。いつにもまして不機嫌そうだ。

けどそんなキッドに怯まないよう指先に力を込める。
もう限界だった。島を降りる度に、見知らぬ女の人と歩く姿。夜になっても船に帰っては来ず、いつも朝帰り。そんなキッドの姿はもう見たくなかった。
私は戦闘員だから綺麗な格好もお洒落も出来ない。この船に乗る以上は不必要な物だからと早いうちから諦めはついていた。
しかしキッドに惚れてしまったのが元凶の始まりだった。キッドに女として見てもらいたい、という欲が生まれてしまった。そう思ったところで自分の身体を見て溜息を吐く。綺麗な格好どころか傷だらけの身体。いつもキッドが連れている女の人と掛け離れている。こんな私じゃきっと無理だ。
加えて最近戦闘に隙が出てきてしまった。キッドを気にするが故に動作が鈍ってしまったのだ。邪な気持ちがあるままの戦闘なんてロクな戦いが出来ない。
この前あった戦闘でついにキッドから、余所見すんな!死にてェのか!と舌打ちと共に叱咤を受けてしまった。このままでは他のクルーにも迷惑を掛ける。下手をしたら命にも関わってくる。どうする事も出来ないこの現状。それなら、いっそこの船から降りた方がマシだった。

「今までお世話になりました。じゃあ」
「おい」

キッドの言葉を無視し、背を向けて部屋から出ようとする。
ドアノブに手をかけようとした瞬間、至近距離で叩かれる大きな音に肩が跳ねた。恐る恐る視線を横にずらせば、私の顔の真横にある拳。それによってドアの板がめり込んでいる。
それはキッドが私の後ろから拳を叩きつけた物だった。椅子に座っていたはずのキッドが私の真後ろに居る。ピリピリとした威圧感に思わず冷や汗が首筋を流れる。動けない。

「降船を許可した覚えはねェぞ」
「私なんか、居なくてたっていいでしょ」
「…テメェ何言ってるか分かってんのか?」

ゾクリとした。静かに怒気に包まれた声。無意識に足がガタガタと震えだしてしまった。けど、ここで負けるわけにはいかない。

「最近の私は迷惑掛けてる。気が散ってるしミスもよく犯す。弱い奴は降りるだけの事よ」
「言いたいことはそれだけか?」

変わらずキッドの顔が見れない状態。見る勇気なんか持ち合わせていない。キッドの声色は変わらないままだ。ゆっくりと重く発するキッドの言葉の中に、本当の事を言え、という意味を含んでいるのがひしひしと伝わってくる。腹を括って、これ以上震えないようにと足を踏みしめる。

「…キッドが、島に降りる度に綺麗な女の人と一緒にいて、朝に帰ってくるじゃない。それが嫌なのよ!」
「…馬鹿が」
「!」

キッドはドアから腕を遠のけると、そのまま私の腰にするりと手を回された。私のお腹辺りでぎゅっとしっかりと手を絡ませる。あまりの近さに驚いて、抵抗を試みるがなかなか上手くいかない。踏みしめた足が、恐怖ではなく緊張で固まる。キッドは口元を私の耳を近づけ、囁くように言葉を発してくる。

「最初からそう言えば良かったんだよ」
「ち、近い!」
「言っとくがな、ただ酒場で情報収集してただけだ。どうでもいい女となんざやる気起きねェ」

…なんという事だ。ただの私の勘違いで妬いて悩んで迷惑も掛けて。挙句の果てに降りるだなんて我が儘にも似た行為をしてしまって。恥ずかしいにも程がある。ひと息いれた後にキッドはゆっくりと耳元で囁く。

「俺が気に入ってんのは名前だけだ」

ああ、きっと私は耳まで赤くなっているのだろう。ククッと笑うキッドの吐息までも耳にかかり、更にビクッと体を縮こめる。先ほどまでの緊迫した空気は既になく、キッドのからかう様子が伝わってくる。

「妬いてる顔を見るのも楽しかったがな」
「離してよ」
「それは出来ねェな」

これからどうしようか、そんな事を考えてるキッドが容易く予想できた。ああ、悪い予感しかしない。
赤い悪魔の機嫌を損ねてしまうと決まって面倒な事になるのだ。

「俺の許可なく勝手な行動すんな」

耳障りの良い言葉よりも、キッドが示してくれた愛情だけが心地よく、いつだってキッドに翻弄されるんだ。さよなら、不快感。



企画サイト「サイレント映画」様に提出
テーマ:色
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -