そっと、手のひらで優しく髪を撫でた。ふわふわな彼の髪はそれに反して跳ね戻る。わたしは面白くて、思わず笑ってしまった。
「…何がおかしいんだ」
「あ、起こした?」
「別に…起きたかったから起きただけだ」
「那月は?」
わたしがそう尋ねると、目の前の彼は眉を寄せた。いらいらしているのか、その面持ちは暗い。いつもの彼からすると、あり得ない顔だ。
「まだ寝てる、あいつは」
「そっか」
「…寂しいのか」
「うん、寂しい」
怒ったような顔から、悲しそうな顔に。わたしには彼がどうしてそんな顔をするのかわからない。
「でもね、砂月がいるから、ちょっと寂しくない」
「はっ…ちょっと、か」
「だって砂月は那月じゃないから」
わたしが望んでいるのは那月、でもわたしは彼を否定してしまった。そのせいで彼は自らの殻に隠り、砂月が現れた。全てわたしのせい。だけど砂月を否定する事も出来ず、ただただ那月が帰って来る事を待つしかわたしには出来ない。なんともあやふやで、歪んでいるんだろうか。わたしは、どっちの彼が好きなんだろう。
「お前は何故那月を否定した」
「それは、」
「那月はお前を、愛して、いたのに」
「わたしはわたしのせいで那月の未来を壊したくなかった、それだけなの」
「お前はあの女とは違う、だが結局は同じなのか…」
砂月は自分の前髪をくしゃりと掴んだ。彼の行動ひとつひとつが、那月とは違うという事を思い知らせてくれる。わたしが彼にどれだけ那月を期待しても無駄なのだ。
「那月は、なんでお前なんかを」
「わたしも、そう思うよ」
「似た者同士の馬鹿が」
「そうかも」
砂月はいつも悲しそうに笑う。苦しそうに笑う。痛そうに笑う。もっと心の底から笑って欲しい、のに。
「ねえ、砂月」
「…なんだ」
「わたし、砂月にも笑ってほしい」
「俺は那月じゃない、そんな事、」
「那月は那月で、砂月は砂月だよ。わたしは砂月の笑顔が見たいの」
わたしがそう言うと、砂月は黙り込んだ。だけどその目はわたしの両目を捉えて離さない。それから砂月は、ゆっくりとまた横になった。
「…砂月?」
返事はなかった。その穏やかな表情は、わたしのよく知る那月と同じようで。わたしはそっとその頬を撫でた。
「ん、」
わたしは思わず息を飲んだ。目の前の彼が頭を抱えながら、起き上がったからだ。ぼうっとした面持ちでわたしを見ると、途端に目を見開く。
「ただ、いま」
「…那月?」
「はい、僕です」
それからにっこりと微笑んだ。その笑顔は、間違いなく那月のもの。那月はわたしの手を握ると、静かに呟いた。
「さっちゃんが僕に言ってくれたんです」
「…なんて?」
「逃げてばかりは駄目だ、きちんと向き合えって」
那月は悲し気に微笑んで、わたしの手の甲に唇を落とした。
「もう逃げません、何があっても、僕は貴女の傍にいます」
「うん…わたしも、逃げないよ」
砂月はわたしに那月を返してくれた。そして大切な事を教えてくれた。わたしはきっと、彼にただ那月を重ねて見ていただけなのかも知れない。それでもこの気持ちは多分、愛だ。




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