(インターハイ最終日結果ネタバレ注意)





 箱根学園の自転車競技部に入部した私に、初めて声をかけてくれたのは隣のクラスの真波君だった。

自由で奔放で楽観的で、一部からは「いつもヘラヘラしている変な奴」だなんて言われていたけど私はそれが真波君の良い所だと思っている。その証拠に、真波君は先輩たちについていけなくて落ち込んでいる私を笑顔で励ましてくれたり、先輩に褒められた私に笑顔で「良かったね」と言ってくれたりした。
だから真波君にはいつだって笑っていてほしくて、悲しいことがあっても立ち直って、また笑顔になってほしくて。そしてできることなら真波君がしてくれたように、私も真波君にそうしてあげたい。そんな図々しい想いが"恋"だと気付いたのは、高校二年生の春だった。




 入部、練習、合宿、練習、練習、取材を挟んでインターハイ。私たちの夏は、嫌になるくらい長くて熱かったのを今でもハッキリと覚えている。皆死んでしまうんじゃないかと思うくらい練習して、強くなって、必死にペダルを回して。そういえば真波君は、いつだって坂に直面すると笑顔を浮かべていたんだっけ。
 インターハイの少し前、忙しくてピリピリしている時期に、皆のプレッシャーに押されて泣きそうになった私を真波君はいつものように笑顔で支えてくれた。


「大丈夫だよ。みょうじさん、すごい頑張ってるから」


お世辞でも、誰かがそう言ってくれたことが嬉しかった。ううん、真波君がそう言ってくれたことが嬉しかった。

私には真波君が、神様に見えた。





 それから時が流れるように過ぎていき、気付けばもうインターハイの前日になっていて。部屋のカレンダーに大きく書かれた「インハイ1日目」の文字を見つめながら、私は真波君に電話をかけた。


『はい、もしもし』

5コール目のあとに聞こえた真波君の声。慌てて電話に出たのだろうか、少し呼吸が乱れているようだった。

「みょうじです。ごめんね、急に電話して」
『へーき。それよりどうしたの?何かあった?』

優しい声色でそう言った真波君に、また少し胸の奥が痒くなる。嘘のない優しさにどきどきと心臓が音を立てた。私は電話の向こうに聞こえないよう深呼吸をしてから、ずっと心にしまってきた想いを少しだけ真波君にぶつける。

「私がここまでやってこれたの、ぜんぶ真波君のおかげだから、インハイの前にちゃんとお礼が言いたくて」
『…アハハ、みょうじさんらしいけど、それちょっと違うよ。だって全部俺のおかげだったら、みょうじさん何もしてないことになっちゃうじゃん』
「!…それは……」
『頑張ったのは全部みょうじさんだから、お礼なんてしなくていいよ』

それこそ真波君らしい台詞で、私は思わず黙り込んでしまった。真波君に言われたら説得力がありすぎて何も言えなくなってしまう。それを真波君はきっと分かっていないんだろうけど、でも、真波君が私を認めてくれているという嬉しさに手が少し震えた。

「……ありがとう…」
『だからお礼は言わなくても
「そ、そうじゃなくて、これは………」
『…うん?』
「その……真波君に伝えたいことがあるんだ、けど」
『伝えたいこと?』
「う、うん。インハイが終わった後に、少しだけ…時間もらえないかな」

ぎこちないテンポでそう問うと、真波君は少し間をあけてから楽しそうな声で言う。

『ってことは、俺達が優勝した後ってことだね』
「!」
『いいよ、もちろん。あ、でも表彰式とかミーティングとかでちょっと遅くなっちゃうかも』
「だ、大丈夫!ミーティングは私も参加するし、終わるまで待ってるよ」
『なら良かった。じゃあみょうじさんの話、楽しみにしてるね!』
「あ…ありがとう、真波君!」

どうしよう、すごく嬉しい。でも鈍感な真波君のことだから、こんなベタな約束をしてもきっと私が何を言うかなんて分かっていないだろう。
もう大丈夫?と真波君が問いかけてきたから、私は迷うことなく大丈夫だよと返事をする。

『それじゃあまた、明日』
「うん、また明日」

その言葉を合図に、繋がっていた通話は切れ、代わりにツーという機械音が聞こえた。
ちょっとだけ寂しいけれど、それ以上に嬉しい。明日から三日間、私は箱根学園を全力でサポートして、応援して、優勝を願う。そして最終日、金メダルを首にかけた真波君に笑顔で想いを伝えるんだ。
そんなことを考えながら、持っていた携帯をテーブルに置いた。明日のためにも今日はもう寝よう。真波君からの返事はイエスでもノーでもきっと悔いはない。

 どうか、真波君が全力で、笑顔で走れますように。












ゴォォ―――ル!!三日目 最初にゴールラインに到着したのは――″


 インターハイ三日目、最終日、山頂のゴールライン。競いながら登ってきた二人の選手を見つめながら緊迫した空気の中、私の持っていたタオルが地面に落ちる感覚を微かに感じ取った。だけどそれ以上に、


176番 小野田坂道選手!! 総北高校インターハイ総合優勝!!″


与えられた結果が、あまりにも、残酷で。
あんなに苦しそうな顔をして、あんなに楽しそうな顔をして、きっと真波君は全身で喜んでいたはずなのに。熱烈なアナウンスと共に両手を挙げた総北の小さなクライマーに「おめでとう」と言った真波君の顔を私は見ることができなかった。


『ってことは、俺達が優勝した後ってことだね』


どんな顔をして会えば良いだろう。どうやって話しかければ良いだろう。真波君がどんな表情をするのか分からなくて、真波君のところへ行くのが、お疲れ様を伝えるのが、ちょっとだけ怖かった。



 表彰式とミーティングが終わり部員たちが片付けをしている時、真波君だけがその場にいなかった。福富さんに居場所を聞くと「景色でも見ているんじゃないか」と言われたから私はお礼を言ってテントを出るため足を動かす。しかしそれを、福富さんは無言で止めた。

「……福富さん…?」
「今は、やめておけ」
「え…」
「きっと、見たくない顔を見ることになる」
「…、…それ、は……」

どういうことですか?
その一言が口に出せず、私は視線を下げてぎゅっと唇を噛みしめる。あまりの悔しさに力を入れすぎて、飲み込んだ唾からほのかに鉄の味がした。

私から目を逸らしてまた片付けに戻った福富さんの背中を見ながら、私もボトルやタオルをまとめようと手を動かす。悔しい、悔しい、悔しい。そればかりが頭の中をぐるぐるしていた。真波君は大丈夫だろうか、一体どこで何をしているんだろう、誰も知らないどこかで、一人きりで泣いているんだろうか。

考えれば考えるほどに震える手は機能しなくて、思わず手に持っていたタオルを握り締める。あまりに頭の中がぐちゃぐちゃしていて、ポケットの中で携帯が震えていることを新開さんに言われるまで気付かなかった。

「…!!」

ポケットから取り出した携帯のディスプレイに表示された、"真波君"の文字。私はものすごい速さで通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。

「も、もしもし」
『………、…』

返事は返ってこなかった。私はまた唇を噛みしめて、もう一度声を出す。

「真波君」
『……ごめん、約束……俺、』

やっと聞こえた声は、いつもと全然違って聞こえた。だけどすぐにいつもの優しい声で「負けちゃった」と続ける真波君。声が少し掠れていた。きっと、さっきまで泣いていたんだろうな。

「…お疲れ様。本当に、本当にお疲れ様」
『…ありがとう、みょうじさん』
「最後、見てたよ。ゴール前で」
『…、……そっか』
「すごく、頑張ってた」
『……』
「あのね真波君」
『…みょうじさん』
「、」

私の言葉を遮り、真波君がまた優しい声で言う。


『坂道君に呼ばれてるから、行かなきゃ』


その声が、言葉が、私には「ごめん」に聞こえた。
真波君は鈍感だから、気付かないだろうと思っていたけど。もしかしたら真波君は、私の気持ちも、想いも全部、うっすらだけど気付いていたのかもしれない。

「……そっか、じゃあ、仕方ないね」
『うん、……ごめんね、みょうじさん』
「大丈夫だよ」

今日は本当にお疲れ様。最後にそれだけ伝えて、私は電話を切った。
(……結局、肝心なことは何も伝えられなかった…な)
あれだけ全力の勝負をして、全部出し切って、とても大きなことをした真波君に比べて自分が酷くちっぽけに感じた。この想いも全部、今まで重ねてきたこと全部。まだ告白すらしていないのに、伝えてすらいないのに、やんわりと断られてしまったような気分だ。


 私はまた携帯の画面に視線を移して、唇を噛みしめる。さっきよりも、鉄の味が濃くなっていた。



「好き。大好き、真波君」



(だけどきっとこの恋は、叶うことなく散っていくんだね)

涙で濡れた頬を撫でる風は、私の神様を消して、私たちの長い長い夏を終わらせていくようだった。
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