逃避行 | ナノ





「…ただいま」


返事が帰ってくるはずのないリビングにそう声をかけた。分かっているのにいつまでもこの癖を直せないのはただ単に長年続けてきた習慣だからか、もしくはまだ何かを期待しているというのか。
ソファが見える位置まで行くと、そこに寝そべっているものが見えて、胃がムカムカし出した。


「酒」

「…ああ、はい」


その“もの”に要求された焼酎をテーブルの上にドスンと置いてやる。するとそいつは気味の悪い笑顔を向けて私の頭を一撫でした。これは至極気持ちの悪い現象だけれど当然といえば当然だ。母さんはこいつに絶対に酒を与えない。
今すぐ髪を洗いたい衝動にかられたけれど、生憎今日は疲れていてとてもじゃないがそんな元気はなかった。
寝そべりながら狂ったように酒を飲むそいつから目を逸らして、私は仕方なく自分の部屋に向かった。

そいつのことも私のことも、情けないとは思う。強いのは母さんだけ。私も父も、母さんに頼りきっている。
母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。弱くてごめんなさい。私が生まれたことで、あいつに縛りつけてごめんなさい。
何度心の中でそう謝ったことか。口に出してしまうとお母さんが潰れてしまいそうで、いつも思うことしかできないけれど。

だから早くこんな家族、さっさと潰れてしまえばいいのに。






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